第80回  “デンマーク・ロドヴィック村 ”

 
(昭和38年)


ロドヴィックはコペンハーゲンからちょっと離れている漁村です。
どのくらい離れているのか?僕の持っている「世界大アトラス」で調べようと思っても、そんな小さな村は載っていません。ほんの10室ぐらいのホテルが一軒だけあって、他にあるのは暇な漁師と雪だけでした。
僕はその頃26歳でしたから、丁度50年前です。今みたいにヨタヨタしていないし、髪の毛もかもじ屋に売りたいほどあったので、いくら寒くってもヘイチャラでした。  
ここで僕は、アンカレッジとパリ間を専門に飛ぶJALのステーションクルーをやっていました。その当時、北回りロンドン便は週2便です。毎週2便、羽田から飛んで来たダグラスDC−8が、アンカレッジ、コペンハーゲン、ロンドン、パリと飛んで、またコペンハーゲン経由で羽田に戻って行くのです。  
ステーションクルーはコペンハーゲンからロンドン・パリに飛び、そこでは泊まらずにその日の内にコペンハーゲンに戻ります。つまり僕たちがロンドンから客と一緒に運んで来たシップ(DC−8のことです)を、次のクルーがアンカレッジまで運ぶのです。そしてクルーは交代してまた羽田から飛んで来た便で、コペンハーゲンに戻るのでした。  
冬のコペンハーゲンとアンカレッジは、スキーとスケートを履いたこともない僕にとって、タバコが喫めて酒が呑める留置場です。  
思い立ってロドヴィッグ村へ行って2泊、泊まりました。この写真を撮ってくれたのは、11期のスチュワーデスだった今は亡き神谷光代です。
“さん”は付けません。この方は僕がJALをクビになって路頭に迷った時、女房になってくれたからです。  
港も防波堤の中は凍っていて漁師はホテルのバーでチェスをやっていました。僕はビールをチェイサーにウォッカを呑み、漁師とチェスを指して「東洋の天才」と賞賛されたのです。ホントです。