第57回  “強制送還 ”

 
ホノルル 1987年


このころは今と較べてウソみたいに、いい時代でした。
本がよく売れて、出版社はとても景気が良かったのです。当時は売れっ子だった僕に、集英社は気前良く取材費を出してくれて、何処へでも行かせてくれました。
この写真の僕は五十歳になったばかりで、まだ今のように老い耄れたハゲのデブではありません。染めてなんかいなかった髪も、黒々としていて、機嫌のいい時はドン・ホーかアルフレッド・アパカそっくりに唱いました。
ダイエットなんて威勢の悪いこととは縁がなかった僕は、12オンスのステークをパクパク食べていたのです。見てください、フットワークが違うでしょう。オバさんやバァさんが往き過ぎるのは今と同じですが、アグネス・ラムみたいな若くていい女は、必ず僕を振り返って片目を瞑ったのです。ウソではありません。この写真が証明しています。
数え切れないほど行ったオアフにもマウイにも、ハワイには楽しくて良い想い出だけが詰まっています。

この集英社の取材の時は楽しいばかりでしたが、ほんの半年あとのホノルルは、大変でした。
けど、しかし、マニラからホノルルへ逃げた元フィリピン大統領夫人イメルダ・マルコスが、旧友の僕ならインタビューに応じると言ったので、講談社の「週刊現代」がすぐハワイに行けと言いました。働き者の僕は二つ返事で、すっ飛んで行ったのですが、自分が前科モンだということをすっかり忘れていたのです。
普通の人はビザは要りませんが、大臣でも自称プロ・サーファーでも、前科モンは誰でもビザがなければアメリカに入国出来ません。集英社の取材の時に取ったビザは、とっくに切れていました。
売れっ子の作家になりおおした僕は、もうすっかりカタギのつもりで、ビザのことなんか忘れていたのです。こんなシレッとしたところがなけりゃ、この年で足なんか洗えるもんですか。
ホノルルのイミグレーションの、風船みたいに太った女は、「すぐ次の便に乗って東京に帰んなさい」とケンもホロロで、入国拒否で強制送還だと言い放ちました。手錠もかけられず腰縄も打たれませんでしたが、次の東京行きを予約させられて、空港の外には出ないと誓約させられたのです。
僕は一時間ホノルルにいて、ビールを二杯呑んだだけで、唖然呆然としながら日本に帰りました。
インタビューは後日、ちゃんとビザを取り直してハワイでやりました。
しかし嫌なことや恥ずかしいことは、端から忘れてしまわなければ、とてもこの年まで生きてはいられません。
男は悪夢に苛まれず、嫌なことや恥ずかしいことは、酔っ払っても何も思い出さないことが、一番大事な技術なのです。
あぁ、もう一度ハワイに行きたい。絶対に行くと僕は決めて、巨きなブタの貯金箱にセッセとお金を貯めています。