第55回  “大恩人 ”

 
1988年東京


マァちゃんなんて気易く呼んでいますが、写真家の西宮正明さんは僕の大恩人です。この写真は僕が作家になってしばらくしてから撮ったものですが、お付き合いは昭和42年頃に始まりました。
日本航空をクビになり、同時に安藤組も解散して、二足の草鞋が両方とも脱げてしまった僕は、昭和41年青山に「サウサリト」という年中無休24時間営業の小さなレストランを開店しました。タンシチューもハンバーグステークも、ソールムニエールもだいたい一皿350円で、一日の売り上げが88800円を超すと、コックやボーイに百円入った大入り袋を出していました。
そのエレベーターもないビルは、一階が家主の氷屋で二階が僕の「サウサリト」、そして三階が安藤昇と若松孝二の事務所で、四階は名前は忘れましたが、後に世界的なデザイナーになる方のアトリエでした。家賃が41000円だったのを今でも覚えています。

その「サウサリト」に西宮正明さんが、スペインの革工芸家や綺麗なモデルさんを連れて、お出でになったのです。それが永いお付き合いの始まりです。
銀行はもちろん、金貸しも質屋も金なんか貸してくれなかったチンピラの僕に、西宮さんは無利子でお金を貸してくれました。
僕は毎度お返しするたびに感謝の気持ちを込めて、一ツ木通りの果物屋でサンキストのオレンジをダンボール箱にひと箱、子分には担がせず、自分で担いで三銀ビルの西宮さんの事務所まで行ったものでした。

この小柄な江戸前の写真家は、僕たちチンピラより遙かに鉄火でした。
僕の裁判の時は、誰も引き受けてくれないので、西宮さんに弁護側の情状証人をお願いしました。西宮さんは、ふたつ返事で引き受けてくれると地裁に出廷して、「寛大な御処分がいただけたら、アベをアシスタントにして更正させます」なんて言ってくださったのです。判事は、知らん顔をして横を向いていました。

西宮さんは、僕が足を洗って作家になったことをとても喜んでくださいました。
これが、その時の写真です。