第54回  “バンコック ”

 
バンコック   昭和37年


この写真は南回りヨーロッパ線の西航便、往きのバンコックのホテルで撮ったものです。
当時のJALは南回りヨーロッパ線は週二便でしたから、僕たちクルーはバンコック・カラチ・ローマに泊まって、次に来た飛行機に乗り継いでロンドンまで行きました。再び羽田に帰り着くまで十六日間の行程でしたが、僕はもともと気楽な旅ガラスですから苦にはなりませんでした。
花札とサイコロと麻雀パイ、それに競馬場さえあれば、趣味と実益を兼ねた実りの多い旅になります。写真でも分かるように四十七年前の僕は、花札を隣に置いてニコニコしています。

クルーはキャプテンから見習いのスチュワデスまで、みんな賭けごとが大好きでした。乗務手当が懐でウナッているド素人です。
当時二十五歳で結構可愛い顔をしていますが、僕は中学二年から年季を積んだ博徒で、羊の皮を被ったハイエナでした。ハイエナなんて言えば、ハイエナが気を悪くするかもしれません。スレッカラシておなかの空いた肉食怪獣、ナオザウルスでした。
ド素人を餌食にする時は、手当たり次第に端からムシャムシャ喰い散らかしたのでは、怖れられて群れに逃げられてしまいます。
広く浅く、まあそれぞれ20ドルぐらい負けておいて、狙いを定めた可哀相なカモには本気を出して、財布はおろか羽田のクルー専用の駐車場に停めておいた車のキーまで、徹底的に巻き上げるのが、渋谷の少年小博奕王と讃えられたナオザウルスの手口でした。
こうすると、大負けした犠牲者が「ナオは強いよ。非道い目に遭った」とボヤいても、聞かされた仲間のうちに何人か「お前あんなのに負けたの?俺なんかアイツのお陰で旨いものを鱈腹喰ったぜ」なんて言う奴がいるので、“どうやら自分は運が悪かっただけだ”と考え直して、嬉しいことにまた向かって来るのです。そうすると決して餌食の群れは、減りもせず散りもしません。

アドケナイ顔をしたナオザウルスに、餌食にされたお気の毒な方たちは、ほぼ皆さんあの世へ行っておしまいになったので、老い耄れた僕はお詫びすることも出来ません。