第51回  “アッティラ街道の村”

 
昭和45年


この写真はローマから30キロほどの所にある、名前はもう忘れてしまいましたが、アッティラ街道に面した寒村です。
この時三十三歳だった僕は、手前味噌ではなく、まるで素ッカタギの好青年にしか見えません。学習院か青山学院大学の二年生で、吉永小百合か加賀まりこが恋人だったと言っても、眉に唾をつけたりする疑り深い人はいないでしょう。
本当に悪い奴は、悪人面をしていないんです。それに小説を書いたり、税金をきちんと払ったりしていると普通に歳を取りますが、悪いことをやっていると、なぜか何時までもピカピカの青年でいられるのです。

この頃、僕はこのイタリーの寒村に泊まり込んで、ある計画に没頭していました。僕が幸運に恵まれて作家に転向した時、後継者には伝えずに封印したので、四半世紀経った今は、この絵図面を知る人は誰もいません。
もうとっくに時効だから書くのですが、60キロ以内の重量なら何でも自在に税関なんか通らず、桜田門一家にも気付かれないで、日本に持ち込む大魔術です。
この頃の僕は、片言のイタリー語を喋って、毎日二本づつ呑む赤ワインのせいで、口の中が土佐犬みたいに黒く染まっているマジシャンでした。高いワインは知りませんが、イタリーの安い赤ワインを一日二本づつ呑むと、口の中が赤黒くなることを、僕はこの村で知りました。