第50回  “ニューヨーク・ニューヨーク”

 
1987年 ニューヨーク


この写真は、作家になった僕がニューヨークへ仕事で出掛けた時のものです。 
この頃の僕は、馬みたいに食べ、鯨のように酒を呑んだので、体重は瞬く間に100キロを超え105キロにならんとしていました。
エクササイズなんか爺いにさせておけと、運動はせいぜい競馬場のスタンドからパドックの往復と、あとは週に二度くらいベッドかカウチでバタバタするくらいで、ビールを日に2リットル、牛肉は毎日1キロムシャムシャ食べていたのですから、肥るに決まっています。
ちなみに、この頃は、今の恐ろしく几帳面で、小学校の担任より厳格な女房殿は、顔を見たことがあるだけです。カウチはおろか、アオカンやカーセックスもしたことが無い、正真正銘の赤の他人でした。

中学の同級生だった日本の老人医学の泰斗、妻取(めとり)博士は、この頃の僕に、「アベッ。お前は軽自動車のエンジンに、大型ダンプのボディーを載せたみたいなもんだ。たちまちオーバーヒートして死んでしまう。即座に15キロ減量しないと、10年後の生存は保証できない」と、マジな声で言ったのです。
確かにいい女と大奮戦したり、アップダウンのきついコースで120も叩くと、息が上がりましたから、妻取博士の言葉には説得力がありました。
そして、それから二十年。1990年頃からこの減量大作戦に参加した女房殿の協力もあって、今は91キロのまるで別人のような細身の男に、僕は変身しました。

しかし見てください。この臨月のように膨れた僕のオナカを……。こんなオナカでノソノソ、ニューヨークをほっつき歩いていたなんて、これはサミットの福田康夫より、フィレンツェに謝りに行った女子短大の校長よりずっと恥ずかしいのです。

最初にニューヨークに行ったのは、確か1968年で、その頃タッズ・ステークハウスの、10オンス、ベイクトポテト、ガーリックブレッド付きのステークは1.68jでした。
タッズは全米にチェーンを持つ、これより安いステークは無いというような店です。
僕はパリも大好きなのですが、フランス語が喋れず若くもなければ、パリは楽しめません。
しかし、ニューヨークは英語が片言の爺さんにもとても優しく、何かワクワク心が浮き立つ街なのです。
前科モンにはビザが要るのと、それにホテルがベラ棒に高いのが難ですが、僕は女房殿を連れて、もう一度ニューヨークに行くと決めています。
どうせもうモテないのですから、女房殿を連れて行こうが独りだろうが、同じなのです。