第43回  “手本引き胴師”

 
1987(昭和六十二)年
東映撮影所


『外の競輪、内の手本引き』というのは、僕の創ったフレーズで、面白いバクチは家の外でやるなら競輪で、中でやるなら手本引きだという意味です。
「お前さんの書いた文章じゃぁ、これが一番いい」と、誉められたのか、他のは詰まらないと言われたのか分かりませんが、阿佐田哲也さんが仰ってくださったことがありました。
それほど、この手本引きは面白いバクチなのです。
関西が本場の歴史の古いバクチですが、僕は若い頃からこのバクチに魅せられました。
勝って相手の金をふんだくれば、ジャンケンポンでも面白いのですが、僕が知る限り“手本引き”は一番面白くて、玄妙でした。
親が一から六までの数字から、ひとつ撰んで、子がそれを当てるという単純なバクチなのですが、賭け方や的中した時の配当率が複雑なこともあって、昭和四十年代をピークに競技人口が減りました。
この写真は、小説家になったばかりの僕が、東映撮影所のセットで、手本引きの胴師の所作を、監督や役者にやって見せているところです。撮ってくれたのは、仲良しのカメラマン長濱治さんです。
江波杏子が女胴師をやったのを最後に、映画でもテレビでも手本引きのシーンは見られなくなりましたが、その頃の東映の撮影所には、僕たちバクチ打ちより達者に札を繰るカタギや半カタギが大勢いました。
それが僅かの間に姿が消えて、この写真を撮った今から二十年前になると、僕がやって見せなくては、再現できる人がいなくなってしまったというのです。
僕の前科のうち八犯は、バクチでした。
国家権力は自分たちが胴元の公営ギャンブルを守る為に、徹底的に僕たちを取り締まりました。
だから僕には、白人に土地とバッファローを奪われたアメリカインディアンが、兄弟分みたいに思えるのです。