第39回  “流行語大賞”

 
1987年


今から二十年前に、僕は流行語大賞を“懲りない○○”という言葉で貰いました。
綺麗で可愛いらしい俵万智さんの隣に坐っている、まだあまりカタギには見えない男が、五十歳になったばっかりの僕です。
今ではとっくに無くなってしまった気合いが、身体に漲って、辺りに漂っているのが分かります。
この気合いというかオーラが歳を経るごとに消えて、僕は穏やかな年寄りになりました。
思い出すと、雑誌に細々と短篇小説を書き始めたのが、1983年の暮れでしたから、単行本が出るまでに随分掛かっています。僕の経歴を怪しんで、単行本を出してくれる出版社がなかったのです。
確かにヤクザ・ゴロツキを三十年やった男が、作家に転身するなんて、それまで聴いたことがありません。
僕は、「単行本がない作家は、名刺を持たないサラリーマンと一緒だ。けっして一軍には入れない二軍のプロ野球選手と同じだ」と叫んだのですが、誰も聞いてくれる人はいませんでした。
安倍晋三が最近言い始めた、再チャレンジなんていい加減なスローガンは、この80年代の末には、まだありません。
これ以上、辛抱できる人間だったら、前科モンにはなってねぇやと、僕がキレかかった時に、当時の文藝春秋の専務取締役だった田中健五さんが、「アベってのは、大丈夫だ」と仰ってくださって、やっと初めての単行本「塀の中の懲りない面々」が1986年の夏、世に出ました。

タイトルが長過ぎると、田中健五さんは首を横に何度も振りました。単行本のタイトルは、短くなければ駄目なんだと仰るのです。 そもそも僕の単行本を出すこと自体が非常識だったのに、タイトルを常識的にしろと言うほうが可笑しいのです。
けど、どう考えても短くできません。塀の中を取っても、面々を外してもダメなのです。「そんなタイトルの本、売れるもんか」と、田中さんは思ったのでしょうが、神様は何時でも僕の味方で、ミリオンセラーになって僕はまんまと世に出ました。
「売れた本には、題があとから付いて来る」なんて田中健五さんは、ケロリとした顔で仰ったのです。
“懲りない○○”という言葉は、この時からよく使われるようになって、今でも新聞や雑誌で目にします。
僕は懲りたけど、世の中がどんどん悪くなって、政治家も役人もそれに経営者も学校の先生も責任を取らず、何でもアリという懲りない面々が、増殖しているからこの言葉が重宝がられるのです。
商標登録しておけば、僕は今頃アカプルコかマウイで楽隠居だったのに、神様は昼寝していたんでしょうか?