第38回  “楽しみは眠るだけ”

 
昭和33年


寝るのと眠るのは、似ているけどまるで違います。「寝た」と言えば、滝川クリステルと一緒だったかも知れませんが、「眠る」は色気も何もありません。
この写真の僕は、パジャマも着ないで眠りこけています。

二十一歳だった僕は、チンピラを辞めてカタギに戻ろうと懸命でした。
毎朝三時半に起きて、築地のヤッチャバでワサビの番人をし、昼前にそれが終わると、東京駅の新丸ビルの地下にあったポールスターというレストランで、ベイカーの見習いと、ランチタイムのパントリーを務め、夕方の六時半から夜の九時までは、新大久保の夜学で高校生になりました。
ヤッチャバというのは青物市場のことで、一番値段の高いワサビの番人は、日給が六百円の高給取りでした。
その頃の恋人が八百屋の娘だったので、野菜のことを知れば、将来きっと役に立つなんて思ったのですが、人生はなかなか思いどおりになりません。
野菜の種類や相場は身につけましたが、悪戦苦闘を続ける間に、しびれを切らした八百屋の娘は、僕を捨てて嫁に行ってしまいました。
ポールスターは日本郵船系のレストランで、ここで僕は、戦前の客船華やかなりし頃の生き残りに、フランス料理やイギリスパン、それにサービスの貴重な知識と技術を伝授されたのです。

新大久保の夜学は、ラグビーが強い東京保善高校で、この時、高校を辛うじて卒業しておいたことが、昭和三十六年の日本航空入社に繋がるのですから、本当に人生は分かりません。 
朝から晩まで忙しく、慣れぬカタギをやっていた僕は、欲も得も、パジャマも助平も忘れて、眠りこけています。

この頃、僕の体重は七十五キロぐらいで、声が掛かれば何時でも、六十七キロのウエルター級で闘えたのですから、我ながらまるで若鮎のようでした。

今では九十一キロの巨大な不味い河豚で、滝川クリステルちゃんも上戸彩ちゃんも、舐めても食べても一緒に寝てもくれません。ああ……。