第35回  “レマン湖”

 
昭和十五年


 
その頃、父が乗っていたのはフィアットでしたが、普通のセダンじゃありません。
イタリア語で確か、カブリオレとかツーリスモと言っていた、幌付きの洒落た車でした。 
末っ子の僕とは三十五歳違いの父は、その頃三十八歳のもて盛りです。
後になって聞いた話ですが、事実その頃の父は女の噂が絶えませんでした。
この写真は一家でレマン湖に行った時のものですが、家族サービスをしている父は、映画俳優で名脇役と言われる男がこんな場面でする表情をしているのが、僕にはおかしくて堪りません。
「本当は若いイタリア娘と来たかったんだがな」
みたいな様子がありありだと思うのは、親に対して失礼でしょうか。

僕の隣りでしゃがんでいるのは、今は七十四歳で横浜に隠居している兄の博也。髪に何か巻いている母の手前で、両手を後ろに突いて、足を伸ばしているのがお女中さんの柏木ゆきえさん。
柏木ゆきえさんは十八歳で、僕たちと一緒にイギリスとイタリアで過ごして、今はお嫁に行って苗字が鈴木に変わっていますが、僕んちから二百メートルの所に、とても元気でお住まいです。
ワイヤテリアのチビは、戦争が終わったら必ず取りに来るからと、お隣りのカナーリさんに預けて、僕たちはローマから東京まで、戦火を逃れての大旅行をしたのですが、戦後、僕が取りに行ったら、カナーリさんの爺様と婆様がポロポロ泣きました。
無防備都市宣言をして戦火を免れたローマでしたが、食料が欠乏してバンドや鞄まで煮て食べたと言って、老いたカナーリさんは泣いたのです。

どんな理由が有っても、相手が大量破壊兵器を持っていても、いなくても、戦争をやっては絶対にいけないのです。