第34回  “俺たち、人気者だった”

 
1996年
東京


これまでの「手配写真」で、これが一番新しい写真です。
昭和三十一年、麻布高校卒業の橋本龍太郎が総理大臣になったので、先輩も後輩も集まって「祝う会」をやった時の写真です。
この頃が“ハシリュー”の全盛期でした。
二百人の同級生の中でカタギじゃないのは、僕と橋本の二人だけだと思っていたのですが、御当人は、政治家はカタギで、自分はその親玉だから、ゴロツキなんかではないと思い込んでいたのです。

それにしても、この写真の十年ほど前から、ハシリューの人気は圧倒的でした。
僕がブームの真っ只中にあった今から二十年前、幹事長か大蔵大臣かなんかをやっていた橋本から、「与謝野馨が危ねぇんだ。済まねぇけどナオちゃん、俺と一緒に街宣車に乗って、人寄せパンダをやってくんねぇか」と頼まれて、選挙の応援をしたのです。
与謝野馨は麻布の一年後輩ですから、自民党は嫌いだなんて言ってはいられません。
街宣車の屋根に一緒に乗って、僕は橋本の人気に驚きました。
山のようなオバさんとお婆さんの群れが、声を限りに「ハシリューッ、こっち向いてッ」とか「リュウサマ!頑張って」なんて叫ぶのです。
橋本が演説すると、区切りでもないのに拍手喝采で、与謝野が代わってマイクを持つと誰も手も叩きません。
もうまるで杉良太郎のワンマンショーでした。子分さえいたらあの時の選挙で、橋本チルドレンを百人でも、衆議院議員にしたでしょう。

何にでも旬はありますが、つくづく花の命は短かったと思います。
たった十年前なのに、矢張りひと昔です。 橋本は何時でも同じヘアで変わりませんが、僕はまだ黒い髪の毛(染めてはいましたが……)が、売りたいほど生えていました。
八月八日に武道館で、自民党葬とやらがあります。
主催者が気に入りませんが、僕は黒づくめでお線香をあげに行きます。