第33回  “香港”

 
昭和44年


 
この写真は、今から三十七年前の香港で、アバディーンのフローティング・レストランに行く渡し舟の中です。
僕は三十二歳の生意気盛りで、母・玉枝は六十二歳、父・正夫は六十七歳でした。
三田のマンションに隠居していた両親は、不良息子の僕が「香港に行きましょうよ」と誘っても、警戒していたからでしょうか、なかなかいい返事をしません。 
なぜか思い出せませんが、僕は何かで儲けたアブク銭を持っていて、普段迷惑を掛け放しにしていた両親に、のんびり旅行をさせてあげたかったのです。
この頃の僕は、今みたいないじけた年寄りの作家ではありません。
文字通りの一夜大名、一夜乞食でしたから、無い時は悲惨ですが、有る時は大変でした。もうまるで少し前のホリエモンか村上某みたいで、毎日がお祭り騒ぎでした。
殺されず、捕まりさえしなければ、簡単には遣い切れないほど儲けていたのです。両親や若いモンと一緒に、香港・マカオの旅に出るのなんて、東京にいるより経費が掛かりません。
ホラ噺ではなくホントに、女房の他に何人も愛人チャンがいて、多摩川べりの太田区西嶺町には七百坪の家があって、庭の池には新潟から取り寄せた錦鯉が泳いでいました。ポチ号という、警察犬の訓練を受けた凄いドーベルマンも飼っていたのです。
三十やそこらの若僧が、こんな暮らしをしていたら、そりゃぁ村上ファンドでなくてもバチが当たりますが、それはまた別の噺で、今は両親を香港に連れて行った親孝行なチンピラの噺です。

この香港・マカオ一週間の旅行は、渋っていた両親を、「香港はキッパスや薄切りのローストビーフ、それに胡瓜のサンドイッチなんて、イギリス風の食べ物が食べられる」と、僕が言ったことが決め手になりました。
キッパスはキッパード・ヘリングで、イギリス人が好んで朝飯に食べる鰊の燻製です。

八十三歳と八十一歳で世を去った二人は、この世代の日本人には稀なほどの喰いしんぼでした。
僕がカタギになってから、両親と映っている写真は、ほんの数枚です。
とてもいい人だったのに、なぜ、自分は、こんなに親不孝で、心配や迷惑ばかり掛けたのだと、何度も何度も溜息をつきます。

二人のお墓は、神戸の須磨にあります。