第32回  “ロサンジェルス空港”

 
1987年


 
今から約二十年前、ロサンジェルス空港の出発ラウンジで、眠りこけている僕です。
その頃の僕は、前の年に「塀の中の懲りない面々」を、百三万部売って、突然スターダムに踊り出ました。
それまで嫌になるほど暇で、おかしな番付作りに精を出していた僕は、途端に酒を呑む暇はおろか、ろくすっぽ寝られないほど忙しくなったのです。
一発当てたのが懲役噺ですから仕方がありませんが、出版社からの原稿依頼は全部、懲役かヤクザの噺でした。けど、仕事で忙しくなったのですから、新米の僕は不平なんか言えません。
どこかに坐ったり寄り掛かったりすれば、自動的に寝てしまうので、画板に原稿用紙を載せて、首から吊って立ったまま、ただもう懲役とヤクザがどうしたのこうしたの、滑っただの転んだだのという噺ばかり書いていました。
いかに三十年ミッチリ取材済みの世界だと言っても、ネタには限りがあるし、読者だって飽きます。

そんな時、集英社の島地勝彦さんが、懲役やヤクザの噺じゃなくて、なんでも好きな本を一冊書けと、思い出せば本当に嬉しく有難いことを、仰ってくださいました。
「俺、プロボクサーの栄光と、その残滓を、心を籠めて書きたい」
と、僕は言ったのです。
島地さんは若い吉田健城さんを、担当編集者に付けてくれて充分な経費も用意してくれました。
そして僕は、売れっ子アイドルタレント並みのスケジュールを縫って、ホノルル、ニューヨーク、ロサンジェルス、マニラ、セブ島と旅して、サンディー・サドラーやレオ・エスピノサ、タニー・カンポ、それに藤猛たちに会いに行きました。
現役だったのは、当時売り出しだったマイク・タイソンと、その頃カンバックしたばかりのジョージ・フォアマンだけで、他は皆、既に引退した、偉大なリングの王者たちでした。

そして書き上げたのが「殴り殴られ」です。

一番哀しかったのは、ダド・マリノでした。
あの凄い左フックを持っていたフライ級の王者は、いくら探しても見付からなかったのです。誰も消息さえ知りませんでした。
 
僕の人生には恩人が大勢おいでになりますが、こうして考えると島地勝彦さんは、間違いなくそのお一人です。
デビューして七冊目のこの「殴り殴られ」が、もしなければ、僕は五年も持たずに消えていたでしょう。