第29回 ヘンリーレガッタ


1953年



この写真が撮られたのは、テームス川の上流ヘンリーで、毎年恒例のヘンリーレガッタの当日でした。
十六歳だった僕は、きちんと学校の制服だったダブルのブレイザーコートを着て、けどよく見ると、ネクタイは斜め縞のスクールタイではなく、自前のものを締めています。
こんなところで懸命に自己主張をしているのが若さだったと、五十三年も経った今、我ながらとても可愛いと思います。
日本がドイツと組んで、アメリカとイギリスと闘って負けた第二次世界大戦が終わって、まだ八年しか経っていません。対日感情が最悪だったイギリスで、十六歳で生意気盛りの少年が独りで生きていくのは、これは大変でした。

この日、僕は、南ロンドン地区の少年ボクシング大会のライトウェルター級で優勝して、御褒美にヘンリーレガッタに招ばれたのですが、他のクラスの優勝者は僕とは一緒にいません。日本人は子供でも、厳しい差別を受けていたのです。
僕はウインブルドンにあった寄宿制のリッジウェイス・スクールの生徒で、日本人は僕だけでした。
イランのパーレビ国王の息子や、インドのシャーの娘、それにアメリカ陸軍の士官の息子に、ヴェネチアの旧家の娘なんて変わった連中が、寄宿舎に群れていたのです。
僕はイギリス人だけではなく、そんな外国人の子弟からも、日本人だというだけで、薄気味悪く思われていました。
怒ると切腹して自殺し、魚を生で食べ、木と紙と竹で作った家に住み、捕虜を虐待して女をレイプする、野蛮人の子供だと決めていたのです。
イギリスは戦勝国だったのに、戦争で力を使い果たしたのか、牛肉や豚肉は配給制で自由には買えませんでした。
だからこの頃の僕は、ほとんど毎日、羊を食べさせられていたのです。それも柔らかいラムではなくて、硬くてタフなマトンでした。
僕が少年ボクシング大会で優勝できたのも、準決勝で対戦したビルマ人の優勝候補が、満場の声援に興奮して最初から飛ばし過ぎて、スタミナを喪ったからです。

皆に気味悪く思われていた僕が、この写真を撮った直後に突然、全校一の人気者になりました。
ある晩、寄宿舎の六人部屋のベッドで、鉛筆を床に落とした僕は、起き上がるのが面倒だったので、足を伸ばして指で拾いあげます。
隣りのベッドにいたカナダの外交官の倅が、「今、どうやって鉛筆を拾ったんだ」と、仰天して叫びました。
そして気が付くと、隣りの棟の女の子たちまで、「ウソッ。スゴイッ。東洋の神秘ね」なんて口々に叫びながら、僕のベッドの周りに群がっていました。
日本の子供は裸足で下駄を履くので、足の指を器用に動かせるのですが、西洋人はそんなことは出来ません。
学芸会でサンバに乗って、皆が舞台に投げこんだものを鮮やかに足の指で拾いあげた僕は、戦後初の日本人スターになったのです。
三船敏郎がスターになったのは、ずっと後のことでした。
エッヘーン。