第23回 チンピラになる一年前


昭和25年 麻布中学屋上



 向かって左から順に、水野忠夫さん、山田正明さん、僕、上松信雄さんで、今から五十五年前の写 真です。  
麻布中学に入ったばっかりの一学期の成績が、四十五人の一年一組で三十七番だったので、僕は内心とても落ち込んでいました。  
飯倉片町の麻布小学校では、開校以来の神童と言われた僕が、東京中の神童を選りすぐった麻布中学では、哀れや劣等生だと思い知らされてしまったのです。  
今の中学校では各科目の平均点による席次なんて残酷なものは、もうやってはいないでしょう。   
“貴様はクラスで何番目だぞ”と、数字ではっきりいや応なしに教えられるのですから、これは僕でなくても、出来ない者はめげて暗澹とするのです。  
こっぴどく負けた戦争が終わってから、まだ五年しか経っていません。東京は米軍の爆撃で燃えた焼け跡だらけで、食べるものは、農林一号とか茨城三号なんて不味い薩摩芋があれば上等でした。  衣食住の全てが欠乏していたのです。  
僕たちのように私立中学に行けた子は、とても恵まれていたと、今になれば分かりますが、その当時は子供でしたから分かりません。  
そんな貧しい日本に育った僕たち世代の少年は、大きくなったら何になって、何で暮らしを立てて行くか真剣に将来を考えていました。  
学問が駄目ならプロ野球選手か潜水夫になると、僕は決めたのですが、どちらもそんな簡単なものではありませんから、その道に進んでもきっとうまく行かなかったでしょう。  
この写真に映っている他の三人は、僕と違って人生をまともに見据えていました。  
三人とも一流大学を卒業して、水野忠夫さんはロシア文学の学者になって早稲田大学の教授になり、山田正明さんは弁護士になり、上松信雄さんは建設会社に勤めました。  
僕は誇り高く、皆様にアナウンスします。  
愚かな僕以外の、この同級生たちは、日本の戦後の復興に大きく貢献しているのです。  
この写真は、クラスでたった一人写真機を持っていた橋本龍太郎さんが、撮ってくれました。