第18回 鉄腕 錦


昭和45(1970)年
ボクシングは、憎んでもいなければ勿論、恨んでもいない赤の他人を、ぶん殴って失神させる、ノウノ法務大臣がよく許していると思うほどの凄まじい殴り合いです。
ベルギーでは1954年に、法律で禁止されました。
セミファイナルの六回戦に出たブラディー・ナオというウエルター級が、七回ダウンを取られてTKOで負けたのを、偉い人が見ていて、“こんな残酷で野蛮なスポーツは、芽キャベツとダイヤモンドの研磨で世界的に有名な、平和な我が国で、やらせるわけにはいかない”と、禁止になってしまったのです。
その“ファイアクラッカー オブ ベイジン(ペキンの花火)”というニックネームを持った東洋人のウエルター級は、パンチは右だけで、左はまるで女学生なみでしたが、ブリッヂで首を鍛え上げたタフネスだけが売り物でした。

フランスのシャルル・ユメやイギリスのランディー・ターピン、それにアメリカのサンディー・サドラーのスパーリングパートナーを、タフネスだけで務めていた男です。
ブラディー・ナオは、両方のグラブを顎の下に置き、肘でレバーをガードするというファイティングポーズでした。
顎も強かったのですが、太い血管が鼻の骨に添っていたので、相手のパンチを鼻に貰うと 何時でも派手に鼻血を流しました。
それがブラディーというファイトネームの由来です。 パンチがなくて鼻血まみれでは、我慢して粘りスタミナ比べに持ち込むしかありません。
このヨーロッパを転戦した十四ヶ月の間に、彫りの深かったナオの顔は平べったくなりました。
パンチがあるか、逆にグラスジョーだったら、母が産んでくれたままのハンサムな彫りの深い男のままだった筈です。
作家にはなっていないで、今頃は役者かホストをしていたでしょう。 グラスジョーは硝子の顎ですから、これは鍛えようがありません。
ボディーはメデシンボールや腹筋の体操で、テンプルは首の筋肉を鍛えて、相手のパンチを喰った時に耐えられるようにするのですが、チンという顎の先端とその周囲のジョーは強化しようがないのです。

鉄腕と謳われた錦利弘(にしきとしひろ)も、鍛えようのないグラスジョーを相手に知られて、遂に世界チャンピオンにはなれませんでした。
しかし、鉄腕錦のパンチは、見た者の背筋を寒くさせ冷たくしたのです。 僕はウエルター級で、あれほど破壊力のあるショートストレートを打ったボクサーを知りません。
鉄腕錦のショートストレートが当たると、その瞬間、相手のボクサーは氷つき、次の瞬間、顔を歪めてキャンバスに崩れました。
崩れ落ちたのではありません。身体の芯が抜けたように崩れて骨のない柔らかい肉の塊になったのです。
これではレフェリーが三十数えても、相手は起きません。
グラスジョーを知られるまで、鉄腕錦は無敵でした。
右に立っているハンサムな男は、今レフェリーをしているウクリッド・サラサスさんで、この写 真を撮った十年前は凄いストレートを打ったフライ級のボクサーだったのです。
僕と同じほどの背の高さで、50キロちょっとのフライ級で闘えたのですから、リーチの長さだけでも大変な有利でした。 だからウクリッド・サラサスさんは、顔だって母親が産んでくれたままでひしゃげていません。
三人の中で一番強かった錦利弘は、リングを去って不動産業者になり、ハンサムなフライ級はレフェリーで、どうしようもなく下手クソだった僕は作家になりました。