第15回  “僕はどこに居るのでしょう”


昭和二十九年七月


 この写真は昭和二十九年の慶応義塾体育会拳闘部の部会で、OB・大学・高校の部員が一緒に映っています。  
部長先生だけがまともな鼻をしていますが、他の男は大なり小なり、鼻が潰れているか歪んでいます。  
高校の主将だった僕は、哀れやこの写真を撮った半年後に、退学ではなく、後にも先にも慶応には居なかったという除籍になってしまいました。  
部費を毎月五人分払って、僕に尻を持たせて練習には一度も出て来なかった故川口浩も、部員名簿に名前が載っていたので、トバッチリを喰らって退学になったのです。  
けど、それがきっかけで役者になって、野添ひとみを女房にしたのですから、川口は文句を言って行くところがありません。  
石原慎太郎先生の「太陽の季節」は、慶応高校の拳闘部がモデルで、しかも映画化に際してロケを日吉の並木道でやったのが、塾の逆鱗に触れたのです。  
お蔭で僕は、それから苦難の道をトボトボ歩き続けました。  
そして、全部で丸七年かけて七つの高校を渡り歩いて二十二歳で、辛うじて高校を了えたのでした。  
コケの逆恨みと言われようと、僕は、石原慎太郎先生のせいで、博士や教授の道を絶たれて、気が付いたら前科モンになっていました。  

さて、その頃63キロのライトウエルター級で闘えた僕は、どこに居るかお分かりになりますか?
最後列の左から五人目、白い襟の黒い袖なしシャツを着て、隣の尾崎哲夫の肩に左手を回しているのが、若くてスリムで、女学生や若奥様が放っておかなかった僕です。

先輩の三木さん、斉藤さん、それに及川さんには、とても良くしていただきました。  
この機会を借りて、厚く御礼申し上げます。