第14回 昭和34年、箱根ホテル小湧園プールサイド


箱根ホテル小湧園プールサイド  昭和34年夏


22歳だった僕は、カタギになろうと懸命にもがいていました。
バクチ打ちも駄目、ボクシングも駄目でしたから、旗を巻いてカタギになるしかありません。
考えた挙句に夜学の高校に入れてもらい、昭和34年の春に辛うじて卒業すると、神田のYMCAのホテル学校に入りました。
僕はもともと客でふんぞり返るより、人をもてなす方が得意でした。
女の方は勿論、他人が満足したり喜んでいるのを見ると、とても嬉しかったのです。
これは母方、梶原家の遺伝なのに違いありません。
なんとかこの道でカタギになろうと、22歳だった僕は思いました。
この写真は夏休みの実習で、箱根小涌谷のホテルで働いていた時のものです。
昼間はベルボーイ、夜はプールサイドのウエイターと、毎日16時間も働いたのですから、僕がどんなに必死にカタギになろうとしていたのか、お分かりいただけるでしょう。
既にこの時、僕はレッキとした前科モンでした。 けど、まだその頃は今みたいなコンピューター時代ではなかったので、自分から前科モンだと白状しなければ、ちょっとやそっとではバレなかったのです。
カタギになるのには、絶好でした。
小湧園をやっていた藤田観光も雇ってくれると言ってくれたのですが、僕はその年の暮れに日本航空の客室乗務員の中途採用の試験を受けて、下手なテレビドラマか小説のように、まんまと潜り込みます。
昭和34年から40年まで、嘘みたいに順調にカタギ街道をレコードタイムで驀進したのですが、結局は元いた世界に戻ることになってしまいました。
昭和56年までの僕の人生は、双六で言えば、振り出しに戻る……の連続でした。