第13回 伏見丸 1938年


伏見丸 1938年


僕は四人兄弟の末っ子で1937(昭和12)年の五月に生まれました。  
この写真の一番前にいるのが、まだあどけない僕です。  
十六年前に世を去った母玉枝は、生前、「伏見丸に乗って父様のいらしたロンドンに向かったのは、あなたが生まれて七ヶ月後だったわ」と、言っていたのですから、この写 真が撮られたのは今から六十六年前の1938年です。  

その当時はまだ飛行機の定期便はせいぜい中国までで、ヨーロッパやアメリカには船で行くしかありませんでした。
右端に立っているセーラー服の少年が僕と五つ違いの兄博也、和服の娘は湯河原出身のお女中さん、鈴木(柏木)ゆきえさん。そして後ろからそっと幼い僕に手を添えているのが、満三十一歳だった母玉 枝。  

昭和三年生まれの長姉福久子と次姉恵子は、森村小学校だったので、五反田の母の実家で祖母とお留守番でしたから、この写 真には映っていません。  
恵子姉さんは十七歳で結核で亡くなりましたが、福久子姉さんは七十五歳で、これはもう驚くほど元気です。
昨年、ゆきえさんと連絡がとれました。  
僕の毒気に当てられた母は八十一歳で亡くなりましたが、当たらなかったゆきえさんはとてもお元気でした。  
兄博也は先日、ロンドン・ローマと思い出の街を巡る旅に出て、この手配写 真の原稿を書く寸前に、絵葉書をくれました。
僕と五つ違いですから七十一か二の筈ですが、年金を貰える身分ですから、僻みじゃないけど元気な爺様です。