第12回 幻のホームラン王


89年 サイパン

十五年前の僕の力感溢れるバッティングフォームを見てください。  
こんな凄い男がたった十五年で、女優もホステスも口説けないイジケた老い耄れになってしまうなんて、とても信じられません。  
軸足は百キロの身体をしっかり支えていて、左腕はしなやかに力強く、標準より重いバットをブインと振り切ろうとしています。  
この時、五十二歳だった僕は、サウスポーのバッティングピッチャーが投げるストレートを、老眼鏡なんかナシで百メートルも、高く、遠く、飛ばしました。  
子供の頃、疎開先の熱海で新田恭一さんから教えていただいたスイングを、僕は忘れてなんかいなかったのです。  
僕は親分になるより、作家になりおおすことより、実は、プロ野球選手か魚雷艇の艇長になりたかったと、この写 真を見て涙ぐみました。

僕が作家にまんまとなりおおしたのが'86年で、この写真の頃は今はうたかたに消え去った安部譲二ブームの最中です。
当時連載していた週刊誌が、ルーキーだった野茂英雄と対談させようと、僕を近鉄バファロースがスプリングキャンプを張っていたサイパンへ連れて行きました。
仰木監督も中西太ヘッドコーチも、僕の憧れていた方です。
フリーバッティングを打たせてもらうことになって、僕は仰木さんに、
「野茂に投げさせてくれない?」と、図々しいことを言ってみました。  
どうせなら、話のタネにしてやろうという魂胆でしたが、仰木さんは苦笑いして、
「オレだって怖くて打席で球筋は見られない。キャッチャーの後ろで見るしかないんだよ」 と、言いました。  
ルーキーの野茂英雄は、それほどの荒れ球だったのです。  
中西太さんは左のバッティングピッチャーを呼ぶと、何か耳打ちしました。  
「素人のオッサンだから、ぶつけると死んじゃうからインコースには投げるな」
なんて言ったのに違いありません。
親切だけど僕にとっては余計なことでした。
僕はインコースが得意なプルヒッターです。
丹念にアウトコースに投げ込まれたのでは、センター前にヒットするのがやっとでした。
ようやく真ん中に来た球をレフト場外まで吹っ飛ばすと、仰木さんと中西さんは、大袈裟に手を叩いてくれました。
素人のオッサンをヨイショしてくれたのが、ありありと僕には分かったのです。
そんなことも分からなければ、作家になんかなれるもんですか。  

五十二歳で近鉄バファロースと、せめて代打専門で契約する夢は、中西太さんのアウトコース攻めの配慮で泡と消えました。  
もう六十七歳ですから二度とチャンスはないでしょう。ああ……