第8回 アラブの名馬ブンブンマル号


あるローカル競馬場 昭和四十八年


このアラブ三歳の牡馬は、最初に出走したレースからトントン拍子に五連勝したブンブンマル号です。
130万円だったこのリキスユリ産駒は、いくら当時の公営競馬でも、そんなに安い馬ではありません。
青森の牧場から厩舎に着いた時まるまると肥っていて、まるでカナブンでした。
それで、馬主の僕が付けた名前がブンブンマルです。
ヤクルトの池山選手も同じニックネームでしたが、時代が僅かですが喰い違っていて、池山選手はちょっと後になってからですから、真似したわけではありません。
ブンブンマルという威勢のいい名前は、僕のオリジナルです。
昭和二十七年から競馬をやっていたチンピラの僕は、散々試行錯誤を繰り返して、その頃は既に競走馬の確実で完璧なドーピングに成功していました。
ばくち打ちだった僕は、好きな競馬をスポーツだなんて思ってはいませんでした。
何でもありの博打と信じて疑いもしません。
しかし、なんというくだらないことに、我ながら異常なほどの情熱をかたむけていたものだと、その頃のことを思い出すと今更ながら呆れかえるのです。
少し専門的になって、競馬に興味の無い方には御退屈かもしれませんが、ほんのちょっとだけ勘弁して下さい。

MLBでもオリンピックでも薬物使用の噂が絶えず囁かれていますが、人間に比べて馬体重が七倍、四百キロ以上ある競走馬のドーピングは、とても難しいのです。
しかし、薬物を的確に効かせれば競走馬は、一マイルの走破タイムが二秒も速くなります。
レースに出走する競走馬が、馬主の手から離れるのはレースの二時間前と、ほぼ何処の競馬場でも決まっていました。
それから馬体検査、装鞍所を通過してパドック、そして本馬場に出て返し馬に集合合図、やっとゲートインしてレースが始まるのです。
薬物が早目に効いても遅く効いてもいけません。
ゲートが開いてから、走っている間に効かなければ、悪いことを危険を冒してする意味がないのです 。
パドックで薬物がモロに効いてしまって、ショックで死んでしまった可哀相なカイリキなんとかという馬も、僕は見たことがあります。
自分の手元を離れてから二時間後に、どうしたら薬物がドンピシャリ効くかという難題に僕は十年も、愚かな研究と実験を繰り返して、遂に昭和四十五年頃には完璧なノウハウを完成していたのです。
どうするか、酔っ払ってもそれだけは決して喋らなかったので、昭和五十年に僕が競馬場から姿を消した以後、そのノーベル競馬賞的な偉大な発明は今でも誰も知りません。
ブンブンマルは、そんなインチキトンチキとは全く無縁の名馬でした。
ブンブンマル号はそんなことをしないでもよく走る、凄いスーパーアラブだったのです。。
馬主の僕が府中の塀の中に消えてからは、福山競馬に転厩して永くオープンで活躍したと聞いています。
砂の深い小回りのダートコースで、七ハロンを一分二十四秒で駆けたのですから、ブンブンマルはそこらのサラブレッドより速かったのです。 ブ
ンブンマルの不運は、馬主がどうしようもないチンピラだったことでした。ああ……。