第7回 耳から入って子宮に染み込むマイターネ


昭和四十四年頃 ロブロイにて


僕が「島から去った貴女は、けど、いつの日か必ず戻って来る」というハワイのラヴソング“マイターネ”を、大塚龍夫とパームセレネイダースと歌っているのは、青山ロブロイのステージで、昭和四十四年頃のことです。
この店は「アスコット」という、安藤昇さんがやってらっしゃったナイトクラブを、昭和四十三年に譲っていただいて、僕がライブハウスにしたのです。
オーナー兼用心棒の僕は、気持ちよく大好きなハワイアンを歌っています。
この頃までは、まだハワイアンもウエスタンも人気がありました。 当時の僕は、ヤクザとの二足の草鞋を履く青年実業家で、日本で五本の指に入るノミ屋に、業界のトップだった「ビッグベン」印のドライ・ドッグフードの製造、それに五軒のバーやレストラン、喫茶店とライブハウスをやっていて、白いキャデラックのフリートウッドに乗ってブイブイ言わせていたのです。
それから三十五年近くたって、もうどこでも僕の歌は聞けないのですから、きっとファンの気の毒な心は縮んで、硬くなって干からびているのに違いありません。
古い友達のへヴィー級、ジョージ・フォアマンは「神様は俺のファンで、この頃は退屈していらっしゃる」と言って、四十歳を過ぎてカムバックしました。
男はこれくらいの自負がなければ、とても長寿はおぼつきません。

「俺のファンも悲しく暗い顔で、ロックやラップを聴いている。山口銀二さんはどうしている?大塚龍夫もポス・宮崎も元気か?俺は六十六歳でファンのために、もう一度、裕次郎さんの“想い出”や、この“マイターネ”を歌うのだ」
運転していた車の中で、ドン・ホーに似過ぎているから、もう少しオリジナリティーを出せと言われた自慢の声でアカペラで歌っていると、女房殿は窓を開けてワザとらしく白髪混じりのドタマを外に出して、
「やめて、お願い、歌にアタルってこともあるのよ」
なんて言いました。

つくづく女房殿は、いい音を知らずに人生を過ごす気の毒な女だと、優しい夫の僕は思ったのです。