第5回 高飛びは国際ハイジャンプ


昭和44年 パリ



ゴロツキの頃なにかバレて全国指名手配を喰らうと、とにかく共犯が先に逮捕されるまで姿を眩まさなければなりませんでした。

うっかり先に逮捕なんかされようものなら、刑事は、あることないことみんな僕のせいにして、あとから逮捕された仲間に「安部はもう白状してるんだ」なんて言うから、そんなことになればヤクザ生命を絶たれてしまうのです。

僕はそんな時、遠くポルトガルまで他人名義のパスポートで逃げました。
昭和四十年代には、味を占めて三度もリスボンの近くにあった温泉もカジノもあるリゾート、エストリルへ逃げて、ワインとファドに浸っていたのです。
ポルトガルはスペインより物価が安くて、僕にはとても快適でした。 その頃のポルトガルはヨーロッパで一番、USドルの値打ちがあって、一日二十ドルもあれば充分過ごせたので、これは日本の温泉場に潜伏するよりずっと気が利いています。
しかし、三十二歳の若かった僕は、穏やかな平和に飽きると時々パリやローマに出掛けて 、ほんの少しだけ畳んでいた羽を伸ばしました。

この写真はその時、撮ったものですから、作家の今より不敵で怪しい顔をしています。
そしてパリやローマで数日、大都会の毒気を吸い込むと、またエストリルに帰って知らん顔をしていました。