第4回 なんで俺だけ……


昭和十四(1939)年ロンドンにて



この写真は昭和十四(1939)年にロンドンで撮られたもので、防毒マスクで立っているのがまだ三十二歳だった母と、七歳だった兄です。
その頃はナチスがロンドンに毒ガスを撒くというので、市民には防毒マスクが配られました。
日本がパールハーバーを奇襲攻撃して、アメリカと戦争を始めたのは、この写 真から約二年半後の昭和十六年十二月でした。
裏庭にあった砂場で孤独に、しかし健気に耐えているのが、今や六十七歳になりかけている僕ですから、この写 真は約六十五年も経っているのです。

しかし、なぜ幼かった僕は孤独に男らしく耐えているのでしょう。
後年、アルバムに貼ってあったこの写真を見て、僕が、
「どうして俺だけガスマスクをしてないんだ。この時もしヒットラーが毒ガスを、空軍の親方だったゲッペルスに命じて、家があったゴールダースグリーンに撒いてたら、哀れや末ッ子の俺は無残なことになっていた筈だ。子供用の小さいのも配られなかったわけはないだろう」
と、怒りを抑えてボソリと呟いたら、母は、
「さあどうだったかしら、ナオの分もあったかしら」
なんて曖昧なことを言いました。
この頃の次男坊は、あってもなくても変わらない“猫のシッポ”みたいな存在だったということが、この写 真で分かります。
長男は大事な跡取り息子で、哀れな僕は紛うことなき猫の尻尾でした。
だから後に父が亡くなった時でも、霞ヶ関と広野、それに川崎国際といった名門ゴルフコースは皆、兄が相続しました。
これじゃ末ッ子の僕がグレてもしょうがないと、当事者の僕は、固く思っているのです。

と、こんな具合になんでも他人の所為にしてしまえば、人生は間違いなく、とても楽に過ごせます。