第2回 パリの怪しい日本人



チンピラでは芽が出なかった駄目な僕は、昭和三十五(1960)年に日本航空の客室乗務員の試験を受けて、まんまと潜り込みました。
僕の人生で一番信じ難い、幸せな四年間です。

池田三郎キャプテンのダグラスDC-8は、パリに着いた最初の日本の旅客機でした。
物見高いパリジャンが、 日本の飛行機は竹と紙で出来ているのに違いないと、大勢見物に来ていました。
日本人は家でも飛行機でもみんな竹と紙で造り、魚を生で喰べ、怒ると切腹するとフランス人は決めていたのです。
イケサブさんとクルーは、ちょっとしたスターでした。
その頃パリで断然、人気だった日本のスターは、三船敏郎です。
エール・フランスの綺麗なスチュワデスは、両目をつむって頭を左右に振ると、「オオッ、ミ・フ・ネ!」なんて呟いて、僕に焼き餅を妬かせました。

昭和三十六(1961)年で僕はまだ二十四歳でしたから、今みたいなハゲのデブチンではありません。
パリではこの写真のように、ゆとりのあるいい顔をしていたのですが、ほんの一時間前のロンドンでは緊張に顔が引き攣って三角な目をしていました。
実はその六年前にイギリスから国外退去を喰らっていたので、バレると折角得た スチュワデス付き海外旅行という、 チンピラとしては夢みたいな旨い仕事が、ふいになる危険があったからです。
コンピューター時代じゃなかったから、その頃すでに前科モンだった僕は、日本航空に潜り込めたし、ロンドンのイミグレイションにも気が付かれなかったのです。
コンピューターがなかった時代は、何でも自由自在だったのに、今の僕はどうもうまくいきません。

さあ、次はどんな手配写真にしましょう?