第一回 怪しい青年実業家


昭和42年「サウサリト」にて



この時、僕は三十歳でしたから、今から三十六年前です。
昭和四十一年に、僕は青山に「サウサリト」という小さなレストランを創りました。  
その二年前に渋谷の安藤組が解散し、ほとんど同時に日本航空の客室乗務員もクビになって、履いていた二足の草鞋が両方とも脱げてしまったのです。  
それまで安藤組のマルにAの字の描いてある代紋と、日本航空の鶴のバッヂとふたつ持っていました。渋谷でゴロツキをしている時は代紋バッヂを、フライトの時には、乗り組みの駐車場にルノーの4CVを停めると、鶴のバッヂに付け替えていたのですから、このものぐさな男がこんな面 倒なことを、よく4年間も間違えずにやっていたものだと思います。  

ともかくそんな事情で、両方とも失業し、昭和四十年の元旦から僕は路頭に迷いました。  
仕方がないので、毒トカゲと異名を取った敵の多い青年実業家の用心棒になって、しばらく糊口を凌いだのです。
危ない仕事は儲かります。  
そして僕は、昭和四十一年の秋に年中無休、当時は珍しかった二十四時間営業のレストラン「サウサリト」を開店しました。
店の鍵は、内装屋から引渡しを受けた時に、通りの向こうに捨てました。
店の名前は、ちょっと覚え難いのがいいようです。一度覚えて下さると、お客様は忘れません。
「サウサリト」は大繁盛して、僕は白いキャデラックに乗り、瞬く間に店は四軒になりました。
この写真が撮られた頃は、懐にぶ厚い財布を入れて、得意絶頂でした。  
しかし、昭和六十三年までの僕は、なんとしたことか、いつでも物語がハッピーエンドでは終わらなかったのです。  
周囲の他人様は、青年実業家として成功して得意満面の僕が、コケて脳天から奈落の底に落っこちると、とても御満足のようでしたが、毎度それでは当人は堪りません。  

来月は、どんな手配写真をお目に掛けましょうか?