■第七回 “日本を離れる ”

 今日は朝鮮海峡を越えて蔚山で給油して、京城まで合計すれば一千キロ飛ぶ予定だ。  
二十二歳の栗村盛孝を前の操縦席に、二十九歳の熊川良太郎を後ろの席に乗せた青年日本号は、瀬戸内海の上空を西に向かって飛び続ける。  

「入道雲の下を山口県の三田尻まで、高度を下げて飛ぶ」  

熊川の声が伝声管から聞こえてきたので、膝の上に広げた地図を目で追い、指先で確認すると栗村は、

「ハイ。積乱雲を避けて高度を下げて飛行し、山口県の三田尻まで行きます」  

と、復唱したのだが、いつものように「よし」という野太い声は返ってこない。  
しかし、その代わりに機首が下がって、栗村の前に瀬戸内海が広がる。  
天気のいい日で、しかも追い風が吹いていた。  
真下の渡し舟から白い煙が断続して数回上がったのは、上空から降りてきた青年日本号を認めて、汽笛を鳴らしたのに違いない。  
音は爆音で聞こえないが、煙は見える。  
飛行中の青年日本号の機内は、シーラス・ハーメス・エンジンの爆発音と、木製のプロペラが空気を切り裂く音に包まれていて、辛うじて伝声管から人の声が聞こえてくるだけだ。  
だから操縦士はエンジンを始動したら、何処かに着陸してイグニション・スイッチを切るまで、ほとんど四種類の音しか聞こえない世界に入る。  
エンジンとプロペラの音に、上下二枚の翼の間に張った針金と布製の胴体が共鳴する響き、それに同乗者がいれば、たまに伝声管から聞こえる、というよりこぼれてくる人の声だけだ。  
高度計の針が三百メートルで止まると、熊川は機首を起して水平飛行にした。  
なぜ復唱したのに答えずに、教官がいきなり降下を始めたのか、栗村にはその不機嫌の原因は訊かなくても分かっている。  
日本では特に同じ地名が多いから、お互いの勘違いを防ぐ為に、細かく特定しろと栗村は操縦訓練で繰り返し教えられた。  
教官と飛んだ所沢周辺の訓練飛行の時でも、電車の仙川駅と、河川の仙川とを勘違いしないように、必ず短い言葉で補足し特定する教育を受けたのだ。
だから熊川も山口県の三田尻と言い、自分も同じように復唱したので、これが熊川の機嫌を損じた原因ではない。  
入道雲を積乱雲と言ったのに、教官はつむじを曲げたのだ。  
所沢で訓練中に、昼飯のおかずに出たじゃが芋を、賄いの小母さんが馬鈴薯と言った時に、熊川が顔を顰めたのを栗村は覚えている。 
その時、栗村が気がついたのを知って、熊川教官はぽつりと
「馬鈴薯なんていうのは役人が作った言葉で、そんな食い物は旨いわけがない」
と言ったのだ。  

飛行機やエンジンにも、いろいろ微妙な違いがあるように、飛行機乗りにもいろんな男がいて、熊川教官はなぜか固い言葉より平易な言葉を好む男なのだと、盛り上がり湧きかえる入道雲の下をすり抜けて飛ぶ機内で栗村は思った。  
二等飛行士の免許を取ったばかりの自分だが、何としてでも、ローマまでとは言わず、せめてモスコーまでは飛ばなければならない。シベリヤのチタを経てイルクーツクから、モスコーに至るまで、帝国陸軍が指定した八箇所で写 真撮影をする約束を栗村はしている。  
それだから、操縦技術はズブの素人に毛の生えたような自分が、主席操縦士として学生初の訪欧飛行に撰ばれたのだ。  
学生の訪欧飛行だという触れ込みだと、共産革命に成功したソビエトロシヤも、領空を通 過する飛行をむげに断ることは出来ない。  
帝国陸軍が指定した撮影ポイントまで、この青年日本号を操縦するのは、教官の役目だ。
撮影ポイントは鉄道の沿線にあるものばかりでは無く、約百キロも予定したコースから離れているところもある。  
山田中佐は、その武器弾薬工場と集積場には鉄道の支線が引いてあるだろうが、確認されていないなんて言った。  
帝国陸軍はソビエトロシヤの軍備を、ほとんど全く知らない。
栗村が撮影しろと指定された地点も正確ではなくて、多分この辺に何かあるだろうという程度の所も幾つかあった。  
そんな八箇所で青年日本号は、一度だけ上空を旋回して、前部座席の栗村が三十五ミリの映画フィルムを入れたドイツ製の小型カメラで、何枚でも撮れるだけ写 真を撮る。
フィルムを巻き上げるとシャッターがセットされる新型カメラだから、一回旋回すれば五枚は撮れるだろうと、山田中佐は言ったのだ。  
革命軍に負けた帝政派の保護を口実にした日本陸軍のシベリヤ出兵は、十年前の大正十一年で撤兵している。  
それから、どうシベリヤの軍備が増強されたか、確度の低い情報が伝わって来るだけだから、満州の安全の為にも陸軍は何としてでも、シベリヤを探らなければいけなかったのだ。
陸地を軍事探偵が近付いても、高い丘にでも登らなければ様子は探れないが、飛行機で空から写 真を写せば隠しようもなく全てが分かる。
雨だろうと曇りだろうと、構わずシャッターを押せと山田中佐は言った。  
シャッターを押しさえすれば、後は陸軍省の専門技官がなんでもちゃんとした写 真にしてくれると言う。  
栗村が法政大学を卒業した後の就職と引き換えにする仕事は、ソビエトロシヤの軍事施設と鉄道の分岐点を八箇所、青年日本号から小型カメラを構えてシャッターを押すことだった。  
そして、そこまで飛んで行くのが教官の仕事で、旋回して撮影が終わったら、予定していたコースを飛んで目的地に着かなければならない。  
そんな捕まったら処刑されることを、一緒にやる教官だから、癖や好みも頭に入れておかなければ、とてもこの飛行はまっとう出来ないと栗村は思っていた。  
どんな条件で教官が、青年日本号の操縦を引き受けたのか、自分は知らないし、知ることでもない。  
二十二歳の自分も二十九歳の教官も、それぞれ何か想いか条件が満たされなければ、この弱馬力の遅い青年日本号で、敵地同然のシベリヤをモスコーまで飛ぶスパイ飛行をやるわけはない。  
軍事探偵は捕らえられたら必ず、銃殺されるのが決まりだ。あっても形式的な裁判だけで葬式もない。
名誉や勲章とは対極にあるのが軍事探偵だった。  
法政大学経済学部二年生の自分は、母にも富美子にも言ってはいないが、いい就職を陸軍が約束してくれたから、命懸けでモスコーまで飛ぶ。もしモスコーまで無事に着いたら、後のローマまでは操縦訓練を兼ねた気楽な飛行だ。  
無事に日本に帰り着いても、多分、誰にも本当のことは言わないだろう。  
たとえ富美子にでも、自分は寝物語にでも本当のことは言わないと決めている。  
青年日本号は秒速五メートルの追い風に恵まれて、三田尻まで飛び、そこでコースを北西に変え、高度も八百メートルまで上げて小串の上空に来た。
「要塞地帯を迂回して沖の島まで直進し、そこでコースを更に北に採って蔚山に着く」  聞こえて来た教官の声に、栗村が復唱すると、「よし」と機嫌のいい声がする。  

青年日本号は日本を離れた。

 

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