■第二回 “高度五百メートル、西へ”
高度計の針が二百メートルに届いたので、熊川は肩に喰い込んでいたショウルダーハーネスの下に指を差し込んで弛めると、頭を一度グルリと回した。  
首の筋肉がきしんだのは、腕や指に「やぁ、ご苦労さま」と、ねぎらったのだと熊川は思っている。
人間の身体のパーツは、何時でも呟いたり叫び合ったりしていると、この操縦士は、誰にも話したことはないが、中学生の頃から思っていたのではなく、決めていた。  
芸者や娼婦じゃない素人娘といたした時、熊川の六インチ砲は、娘を口説いて横にならせた口や舌に、「やぁ、ありがとさん」と、口早に礼を言う。  
そして時には骨を折ったパーツに、「なんだ、牛か雀みたいだな」と、嘲笑されたりもする。  
飛行機はパーツが駄目だったり怠けると墜落してしまうが、こんなことは人も同じだと、熊川は十五で飛行学校に入った時から思っていた。  
仕事を了えてジョッキのビールをグイとやった時には、指や腕、それに足が「働いたのは俺たちだぞ。 それなのにいい想いをすんのは手前たちだけか」と、喉と胃袋に向かって大合唱していると、勿論、何かする度にいちいち思うわけではないが、熊川良太郎は基本的にはそう思って生きている。  
栗村は首を伸ばして、初めて上から見る三浦半島を眺めていた。  

「あれが鶴岡八幡宮だ。高度を取るのにここまでかかったから、羽田に戻って旋回なんかしない」

長い会話をするのには、伝声管は適していない。  
直径五センチの真鍮のパイプだった伝声管を、少しでも軽くしようと、竹の内側を削って薄くしたのに、和紙をソクイという飯粒を練った糊で補強した筒を使っているのだが、エンジンとプロペラの音で聞こえ難いのだ。 
しかし今回の遠距離飛行は、普通なら前方操縦席に乗る機関士が乗らず、その代わりに二等飛行士の免許を取ったばかりの学生が乗ったのだから、伝声管が重要になる。  
普段だと言わなくても済むことを、熊川は念を押して確認しなければならない。  
三度、同じことを叫んで、栗村は漸く了解して大きく頷いて復唱し右手を挙げる。  
羽田に見送りに来た偉い人たちの上を、ニュース映画で見たように、二度ほどグルリグルリと旋回し、翼をバンクさせようという計画はやらないことにした。  
滑走路から海に車輪がつくかと思うほど低く飛び出した青年日本号は、そのまま真っ直ぐ西に向かって小さくなってしまったのだから、フロックコートにシルクハットの若槻礼次郎は、なんと愛想っけのないと思ったかもしれないが、自分の仕事はとりあえず無事に木津川飛行場まで飛ぶことで、見送り人を喜ばすのは二の次だと、熊川は判断したのだ。  
地図上では五百キロ足らずの木津川飛行場だが、この青年日本号にとっては簡単な仕事ではない。
伝声管まで真鍮から竹に変えて、軽くしたのに、全備重量は九百キロを超えていて、これでは巡航速度も毎時百二十キロが一杯だし、高度にしても千四~五百メートルがギリギリだと、小田原城を右下翼前方に見ながら熊川は考えていた。  

新聞社の機が前になり後になりながら、写真を撮ろうとして青年日本号の周りを飛ぶ。  
とても富士山はおろか、箱根だって安心して飛ぶわけには行かない。  
この飛行は戦闘ではなくて、操縦士の自分にとっては仕事なのだ。  
大元帥陛下の御為なら戦死するのも覚悟の上だが、そんなことは性に合わないから軍人にはならなかったと、熊川は思う。  
性に合わなかったから民間の操縦士をしているので、臆病だからではないと、力んだ言いわけみたいなことが頭に浮かんだから、熊川は頭を左右に振って吹き払う。  
飛行中に頭に浮かんだややこしい考えは、こうしてみんな吹き飛ばしてしまえば、何時でも気楽で爽やかに過ごせる。  
操縦士は飛行機を飛ばす職人で、無事に目的地に着くことが仕事だから、見送り人を満足させるようなことは、リスクを犯してまではやらないし、新聞社の飛行機に富士山をバックに飛ぶ青年日本号を、写 真に撮らせることも熊川はしない。

「伊良湖岬までは海岸線に沿って飛ぶ」  
熊川が伝声管に口を寄せて叫ぶと、

「ハイ。伊良湖岬……」  
栗村が復唱した声が聞こえて来る。  

羽田から付いて来た新聞社の飛行機は、一度前に回って手を挙げると引き返していった。  
このまま六百メートルの高度を保って、海岸線を伊良湖岬の端まで飛んで、低い所を撰んで紀伊半島を横断して大阪湾に出ると熊川は決めている。 
飛行している操縦士が絶えず、下の平らな地面を無意識に探しているのは、何かあった時に不時着できる所を確認しているのだ。  
エンジンが止まっても高度が六百メートルなら、一キロくらいは滑空できる。  
普段なら操縦士は、空き地、畑、運動場に錬兵場と目で追い続けるのだが、日本の太平洋岸は砂浜がほぼ連続しているので、気が楽だった。  
右下翼をかすめて、巨きな鴎が後方に流れる。  
青年日本号は一時間かかって、漸くこの高度に昇ったのに、鴎はよくエンジンもなしで汗もかかずに昇るものだと、栗村は思った。  

羽田を離陸してから一時間半、安定した飛行を続ける青年日本号の前方操縦席から、下を見下ろしながら栗村は富枝のことを考えていた。  
女子医専の学生の富枝は、朗らかな美人だが、頭がいいだけになかなか誤魔化せないのが困る。
富枝は、そもそも法政大学が、何処の大学もやらない訪欧飛行なんてことをやることが、腑に落ちないらしい。
だからこの訪欧飛行の操縦士に栗村が撰ばれた時から、富枝は釈然としていないのだ。  
「なぜ、あなたがそんな大変な飛行の操縦士に撰ばれたの?」  
それに法政大学だって特にイタリヤと御縁があるわけではないでしょう と、訊かれても栗村には、富枝が納得するような答えはすぐには思いつかない。  
自分自身、加納中佐に呼ばれるまで、なぜ、六人いる航空部の操縦班から自分が撰ばれて、青年日本号の訪欧飛行に乗ることになったのか、分からなかったからだ。  
飛行機は危ないものだという思い込みがあって、事実とても墜落事故は多いから、富枝が心配するのも栗村には煩いだけではなかった。  
いろいろ問い質すのも、自分のことを心配しているからだという想いが栗村にある。
ローマに着いたら青年日本号は分解して船に載せ、一緒に横浜まで帰る計画だ。  
富枝に全てを話すのは、それからだと栗村は決めている。  

右上翼の斜め上方に富士山が見える。  頂上にまだ僅かに白いものが残っている。  
帰りは船上からこの富士を、仰ぎ見るのだ。
そういうことになればいい、無事に日本に帰れればいいと栗村は思った。  
その時、同じ富士山を見て、後部操縦席の熊川はなにも考えてはいない。  
富士山と青年日本号の間にポカリと浮かんでいた入道雲を見て、紀伊半島の上空には同じような雲がなければいいなと、そんなことを思っていただけだ。  
百二馬力の直列四気筒シーラス・ハーメスは、快調に千五百回転で回り続けて速度計の針も百二十キロで安定している。  
操縦士は天候と視界、それに機の状態のことしか考えない。  
飛行中の習慣が操縦士を永くやっていると生活習慣になるから、熊川は他のことはあまり、ではなく、ほとんど何も考えなくなっている。  
十五歳から操縦席に坐っていると、他のことは考えなくなるのだ。  
歳よりも老けた顔をしている熊川は、しかし、まだ三十歳にはなっていない。

「速度百二十キロ。高度五百メートル。燃料残五分の四」  

伝声管から栗村の声が聞こえて来た。  
速度も高度も圧力計なので、実際とは違って誤差があることを、若い栗村は知識として知ってはいても、身に染みてはいないだろうと熊川は思う。 
速度計の針が百二十を指していても、それは空気中で受けている風圧の値で、地面 の距離を移動しているスピードではない。
高度計も同じでその時々の気圧次第だから、鵜呑みにすると非道い目に遭う。

「紀伊半島の地図を広げておけ。山脈の低いところを選んで横断し大阪湾に出る。汽車の線路はトンネルに入ると消えるからアテになんかするな」

熊川が叫ぶと、栗村が驚いた声で、
「ハイ。鉄道線路はトンネルに入ると消えるので、あてにしません」  
と、復唱する。

 鉄道の線路はトンネルに入ると消えてしまうと教官に言われたのが、言われて初めて栗村は分かったのだ。  
熱海までは確かに下にあった東海道線が、迫って来た山を見た途端、目を下に戻したら、忽然と消えていて途方にくれたのは、何度目かの単独飛行のことだったと、熊川は思い出す。
操縦士は他の人とは視点が違うのを、栗村が気がついたのが可笑しくて、熊川は頬をほころばす。
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