第276回 『想い出はなぜか鮮やかに』


前回の『タラモアデュー』で、東久世壽々子さんの想い出を書いたら、読者から何通か面白かったとお褒めのメールをいただいた。  
俺はいくつになっても褒められると、途端に舞い上がる。逆に貶されたり批判めいたことを耳にした時は、それこそ牝を盗まれたカバのように怒り狂うのだから、我ながら単純な男だと思う。  
しかし2トンもある巨きな牙のカバは、もう哀しいほど老い耄れて、どんなに腹の立つことがあっても、怒るでもヤケ酒を飲むでもなく、葉巻に火を点けて椅子の背もたれを倒し、虚ろに煙を出すだけだ。  
最近のことは何でもすぐ忘れるのに、昔のことはよく覚えている。目の奥に映像として焼き付いているのだ。  
味や匂いで思い出すこともある。人の立居振舞いで何かが蘇ることもある。八百屋で大根を見ていたら、急におふくろの鰤大根を思い出して涙が出そうになったこともあった。  
想い出噺といえば、連載している秋田の酒造メーカー“美酒爛漫”の広報誌に石原裕次郎さんとのエピソードを書いたのでここに転載させていただく。   

あれは昭和三十八年のことでした。サンフランシスコのチャイナタウンの入口、グラントアベニューとブッシュストリートの交差点にあったホテルのバーで、僕はぱったり石原裕次郎さんに顔が突きました。当時の僕はチンピラでしたから「お目にかかった」なんてカタギの敬語は使いません。“顔が突いた”というのです。  
親がそれぞれ船会社勤務で住まいが神奈川県の逗子、年は僕が三つ下でしたが、慶應高校が一緒でヨットが大好きということもあって、僕は可愛がってもらいました。  
当時のチンピラは人目のある所では、知人に会っても握手したり肩を抱きあったりはしません。相手が著名人なら尚更です。「あんなチンピラと仲良くしているのか」と周囲の人に思われたら御迷惑になるからです。  
映画『太平洋ひとりぼっち』のロケが終わったばかりだと、陽に焼けた顔をほころばせて裕次郎さんはおっしゃいました。マネジャーもボディーガードも付けず、ひとりでフラッとやって来て飲んでいたのです。  
「近くにイヌイのワンコが弾いている『ヤンキードゥードル』ってバーがありますよ」と僕が言ったら、裕次郎さんは「えっ、ワンコはこんなところにいたのか」とびっくりしていました。  
本名は乾宣夫、イヌイのワンコという通称で、ピアノの弾き語りの名手でした。粋でダンディーでお喋りも絶品で、TBSで深夜に番組を持っていたので覚えておいでの方もいらっしゃると思います。今で言うLGBTの人で、いろいろあってその頃はお金に困って転々としていたのでしょう。  
裕次郎さんと二人でそのバーに行き、バーテンダーにドリンクを頼んだ時、ホールの隅にあったグランドピアノから、『想い出のサンフランシスコ』が鳴り始めました。
僕たちが入って来たのに気が付いたのでしょう。
裕次郎さんは酔っぱらうとよくこの歌を歌っていましたから。何だか映画のワンシーンのような夜でした。


イヌイのワンコは本当に素敵なピアノの弾き語りで、なんともいえず雰囲気のある人だった。金勘定とは無縁の世界に生きていて、だから借金だらけの、今の流行言葉で言えば生産性の無いホモ爺さんだったのだ。  
ある時、尾羽打ち枯らしたワンコが、レストランの隅で若い、みるからに薄っぺらな男に、皿にのったチキンを切り分けてやっているのを俺は見た。次に顔が突いた時、俺は「チキンも独りで喰えないような小僧なんかロクなもんじゃない」と“ワンコ、見苦しいぞ”という気持ちを言外に籠めて言うと、ワンコは何とも言えない寂しそうな顔で「歳をとったオネエは、ああでもしないと駄目なのよ」とつぶやいたのだ。それは泣き声じゃなく呻き声だった。  
俺はなんだか胸が詰まって、それ以上なにも言えず話題を変えてしまったのだった。  

 



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