第274回 『金曜日のオッズ』


土曜日の朝、と言っても昼近い11時頃のことだが、俺はデイリースポーツを見て馬券が買いたくて堪らなくなった。いい女を見ると○○たくなるのは毎度の80歳11ヶ月だが、馬券が買いたくなったのは本当に久しぶりだ。
生き証人は日本一可愛いくて、賢いことは世界でも五本の指に入る当家の代貸ウニだ。
「どうしたの、お馬の何が気になるの?」
理屈を言ってみろとウニはまるで、イケノボウヤスコかレスリング協会の怖い女みたいに俺に詰め寄る。
ウニはもともと綺麗なネコ語を話す、知性も教養も素晴らしい猫だったのに、最近俺がテレビばかり見ているので、一緒に見ているウニまですっかり変な日本語が染み込んでしまったらしい。
矢鱈と「しっかり」と言うのは安倍晋三で、これを連呼するのはしっかり出来ていないということだ。どんなことでも言い切らずに「と、思います」と曖昧な物言いをするのは、アナウンサーが始めて、これはいいと思ったらしく政治家も遣い、皆に広まった。
謝罪会見で「申し訳ありませんでした」とは言わずに「申し訳なかった、と思います」と言うんだ。もっと卑怯なのは「もし皆さんんに誤解を与えたのなら、申し訳なかったと思います」と、まるで誤解したこちらにも非があるような物言いをするのに俺は腹が立つ。  
今流行っているのは「私の記憶の限りでは○○です」というヤツだ。今度女房殿にオヤツを盗み食いしただろうと問い詰められたら、「私の記憶の限りではヤッていません」と答えよう。  

あ、競馬の噺だった。「うん。日曜日にやる皐月賞だ。俺の理屈を教えてやるからよく注意して聞けよ」。俺やウニが理屈と言っているのは、カタギの理論と一緒だ。  
皐月賞の馬券は金曜日から売り出されるのだが、今日のデイリーに金曜日現在の単勝と複勝のオッズが載っている。単勝の一番人気は2番枠のワグネリアンで3.7倍。二番人気は9番枠のオウケンムーンの4.2 倍。三番人気は5番枠のキタノコマンドールで7.8倍。そして四番人気は1番枠のタイムフライヤー8.3倍。五番人気は15番枠のステルヴィオ9.9倍と続く。ちなみに六番人気は7番枠のエポカドーロで12.7倍、七番人気は12番枠のグレイルだ。  
「な、ウニ。これが皐月賞の馬券を売り出した日、つまり金曜日のオッズだ。まだ今日の土曜日それに当日の日曜日までオッズはいろいろに変化する」  
テレビでしか馬を見たことがなくて、馬券も買ったことがないウニだが、オレンジ色の鼻で頷いて見せるのが、とてもが十つくほど可愛い。  
「日本の中央競馬は世界一の巨大博奕だ。アベアキエも腰を抜かすほどの売り上げで、しかも先進国では一番高いカスリを、天引きで控除するから、勝つ奴なんか数学的にも居っこないんだ。分かるか?」  
ウニは分からないと、先だけ濃い茶色の耳を横に傾ける。  
「そんな誰でも大損をする日本の競馬なのに、なぜ日本人はカタギもそうではない人まで、競馬に夢中でバサバサ馬券を買うのか? たまに当たって儲ける奴がいて、そいつはその時のことをくたばるまで、回りに自慢し続けるからだ」  
ウニは長い尻尾を俺に向けて伸ばすと、黒い先っちょで?マークを描いてみせる。  
「兄弟もその一人じゃないの?」と、いくら五厘上目の兄弟分だと言っても、口にしてはいけないことがあるという理屈を、12歳に間もなくなるウニは知らない。幼い時の余りの可愛さに、女房殿が躾けを怠ったから、競馬の理屈を教える俺が苦労するんだ。  
とにかく日本の競馬で勝つには、たったひとつ。確実な情報を持っている奴が買う馬券に乗ることしかない。誰がそんな情報を持って馬券を買っているのか。予想屋や新聞記者ではない。調教師サイドと馬主サイドだ。ここに『異常投票』が発生する。連中が買う時に盗み見るなんて垢抜けない。もっとスマートな剛力彩芽ちゃんみたいな手がある。  
自分が調教師か馬主だったら、穴馬でも本命馬でも、いつの時点で馬券を買うか、考えてみろ。売り出してすぐに決まっている。  
明日の皐月賞でもエイトに白三角がパラパラしか付いてない、12番枠のグレイルが13.7 倍の七番人気だ。  
これを見たファンは“付かな過ぎる。エイトには23.9倍って書いてあるのに、こんな安いのなら他のもっと付く馬にしよう”ということになる。本名馬でもファンの思うことは同じだ。エイトに3.9倍と書いてある2番枠のワグネリアンよりも、同じようなシルシの15番枠のステルヴィオが4.8倍の筈が9.9倍なら、こっちのほうがいいやとなって、皐月賞の発走前には『異常投票』は目立たなくなってしまう。  
「皐月賞で金曜日に変な売れ方をしているのは、本命サイドではタイムフライヤーとオウケンムーン。穴馬ではグレイルだ。この三頭にブッ込んだのはファンというカタギではない。調教師サイドか馬主サイドの人間だ。 日曜日の午後2時にこの三頭のオッズが、上昇していたら、俺は兄弟分を質に入れても勝負する」  
ウニは顔を顰めて「僕を質屋に入れないでママにお金を頼んだら?」と言う。それだけで止めておけば世界で三本の指に入る賢いネコなのだが、五厘上目の兄弟分のウニはいつでも一言多い。  
「言えないんなら僕が頼んでもいいけど、ママはネコ語が分からないんだ」
本当に生意気を2ハロンも通り過ぎている。  

 




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