第271回 『楽隠居の年の暮れ』


今日はいいお天気だったけど散歩には行かず有馬記念をNHKで見ていた。
本命で武豊が乗ったキタサンブラックは、大谷翔平のような見事な身体をしている。この馬をここまで仕上げた調教師とスタッフたちに、俺はエールを送りたい。  
あの巨体を、有馬記念で単勝1.9倍の一番人気に支持されるほどにしたのには、細心で綿密なトレーニングがあったに違いないと思うからだ。
若い頃の俺はデカい馬が好きだったから、あぶく銭だがイヤというほど金を無駄にした。デカければデカいほど身体が絞れないから、レースに出せば“後方のまま”だ。デカい馬は相撲で言えば逸ノ城か稀勢の里みたいなウドの大木が多い。  
しかし武豊は凄い。  
俺は七番枠の田辺裕信が乗ったトーセンビクトリーが、出鞭を入れてハナを奪って逃げると思っていたんだ。田辺は鉄火ないい騎手だ。人気のないレースでは思い切ったことが出来る奴だと、俺は勝手に決めていた。  
一番人気を背負った武豊は、躊躇わずハナに立って逃げに逃げる。俺が睨んでいた田辺も外人騎手たちも誰も競りかけない。  
向こう正面で武豊はペースを落として、直線に備える。この時もう馬主の歌声が聞こえていたのだろう。  
しかし長い道中、誰にも競りかけられなかった武豊は凄い貫禄だ。  
俺の予想は四着の三歳馬スワーヴリチャードからだったので、ウニは寝たまま耳も尻尾も動かさない。  
俺が見る最後(?)の有馬記念は、武豊と調教スタッフの見事な勝利だった。  
女房殿がいつでも磨き上げている家だから、ウチは大掃除なんてやらない。俺は床に落ちているウニの灰色の抜け毛を、丹念に拾い集めるのと、毎日八時間おきに抗癌剤を呑むのが仕事の超楽隠居だ。
もう年賀状は暮れには書かずに年が開けてからゆっくり書くと決めているので、後は床屋に行くか考えるくらいで、特にしなければならないことは何もない。これでボケなければ、森喜朗も安倍昭恵もみんな大丈夫だ。
テレビはヒストリーchもナショナルジオグラフィックchも、ディスカバリーchもアニマルchまで見たものばかりでつまらない。銭を取っているんだから古いのばかり映すな。年寄りだと馬鹿にするとステッキで全治三ヶ月の重傷を負わせるぞ。 仕方がないから正月は女房殿が買った「ベター・コール・ソウル」のDVDを一気見しよう。音声解説やら特典映像やらいろいろ入っているから何十時間もつぶせる。  
ついでに年の暮れだから小言を言う。  
テレビCMを作っている連中は、古ぼけた女ばかり使うな。剛力彩芽ちゃんを使え!女房殿に内緒で教えてやる。コジルリってのもなかなかいいぞ。あっ、メモなんかするとすぐバレるぞ。  
楽隠居にも悩みがある。俺が気に入った女を絶対専制君主の女房殿が、あまり気に入ってくれないことだ。俺はそんなに趣味が悪い方じゃないんだけどなぁ。  
神様がいるとすれば、俺のことを憎んでいるかそうでもなければとてもタイミングの悪い方だ。もしいるといけないから“方”という字を使っておく。  
なぜ俺が老い耄れて否応なく現役を退いたタイミングで、日本も含めて世界中の女が急に綺麗で姿が良くなったんだろう。  
自慢の世界一硬くて強い6インチ速射砲が、 見る影も無くスクラップになっている。泌尿器科に行くまでもなく内科にいる看護婦さんも、八十になればソレどころじゃなくて、みんな生きていくだけで大変なんだと言って、俺のことをアブナい爺さんを見るみたいな目で見るんだ。  
そしてその目の中には少し憐れみが籠もっているのを、敏感な俺は知っている。八十にもなって他人様に憐れまれるのは悲しいねと、十一のウニは言う。  
俺は気を取り直して女房殿に食品スーパーに連れて行ってもらう。酒盗かコノワタを買うんだ。もう女房殿の目を盗んでとことん酒を飲むしかない!と思ったんだけど、飲み過ぎて転んで骨折すると後がキツいから、やっぱりクリームあんみつのヤケ食いにしておくか。

 




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