第270回 『呑む、打つ、買う、の噺(その5)』


いやぁ、“買う”噺はとても難しい。書けないままとつおいつしていると、冬が過ぎて桜が咲いて、俺は八十一になってしまう。  
俺が八十一になれば兄弟分のウニは十二だ。兄弟分でもウニと俺はイーブンではなく、俺が五厘下がりだから、二人だけの場面では「おい兄弟」と呼べる。しかし他人がいる所では「兄貴」と言わなければ、白鵬や日馬富士並みの猫パンチが飛んで来て俺は非道い目に遭わされる。  
俺がゲソをつけている絶対専制君主の女親分の一家は、二人と一匹だから、喧嘩相手に至近距離から三発撃たれれば、解散宣言をする暇もなく全滅してしまう。考えてみるまでもなく、これほど儚い一家も滅多にない。
俺は四十年前、『小金井一家・新宿東』の代貸しをしていた。日本一の繁華街、新宿だぞ。嘘じゃない。ちゃんと警察のB資料に載っていたのに、今や二人と一匹の組の三番目だ。

“呑む、打つ、買う”の、“買う”の舞台は日本じゃない。  
新宿二丁目や玉ノ井、鳩の町や吉原、それに洲崎、武蔵新田。売春防止法が制定される前の赤線地帯の噺は、六十年以上前のこととは言え、生々しくて筆が…じゃなかった、マウスが重くなってしまう。
“買う”噺は外国。それもアジアじゃなくてヨーロッパのほうが、マウスの動きが断然滑らかになる。  
三十〜四十年ほど前の俺はあぶく銭を掴むと、子分は連れず独りでローマかパリに飛んだ。東京でゴロツキをしていると、いろんな仕事が舞い込んでくる。  
いずれもまともなビジネスではない。トラブルになっても警察沙汰にはしたくない案件だ。表には出せない金を横領して逃げた男が出した絵葉書が、ロンドンから銀座の女に届いたので、捕まえて金を取り戻してくれだとか、田舎の大病院の娘が留学先でイタリア人のウエイターに引っかけられて、金をせびり取られているから、なんとか日本に連れ戻してくれなんて、インターポールには頼めない話が断りきれないほど舞い込むのだから、日本は豊かにはなったが愚かな国だとつくづく思った。  
俺は条件のいい仕事を選んで羽田から飛行機に乗る。飯が旨いしスチュワデスが綺麗だから、たいていアリタリアかエールフランスだ。  
金になるから俺は仕事をする。裁判ごっこをしてるんじゃないから、善悪は問題外で気にも留めない。ゴロツキにはモラルなんかないんだ。  
そしてマンマとあぶく銭を掴むと、それからが“呑む打つ買う”の独りドンチャン騒ぎということになる。  
アニス風味のリカールを呑み、赤くて苦いカンパリを啜る。レンタカーも安い車は借りない。  
ターターステーキは精が付くけど、女と一緒に食べるのは余りにこれ見よがしだから止めとけと、イギリス人の大年増に教わったことがある。  
パリでターターステーキを頼むと、必ず牛ではなく馬肉の叩いたのを持ってくるのは、馬のほうが牛より体温が高いので筋肉に寄生虫がいないからだと、これは医大生兼娼婦に聞いた。  
まともな教育を受けていない俺は、知識の全てを耳学問に頼っている。だからこの噺もあてにはならない。この前ウニを動物病院に連れて行ったら可愛いお尻の穴に体温計を突っ込んで熱を計られたのだが、なんと39度もあって俺はびっくりした。フランス人に気付かれると、猫のターターステーキにされてしまうから、この話は秘密だ。  
パリもローマもそれにアムステルダムも、娼婦はファーを羽織ったボテボテの都知事みたいな女のほうが高いのだ。若くてピチピチした姿のいいのが安い。  
この不条理をムッシュに訊いたら、「だってベテランの方が巧いし、いろんなスキルがある。その為に行くんだから当然だろ」と説明してくれた。俺は下手でも若くて綺麗なほうがいい。これは耳学問にもならなかった。

政治家や銀行だけではなく、商社も石油会社も、カタギは俺たちゴロツキに汚れ仕事を任せる。受けた親分は自分ではやらずに子分に投げる。  
ターゲットに反撃されて命を失うのも、事件になって懲役に行くのも俺たち若いもんだ。  
クライアントから直接依頼を受けることが多かった俺は、本当にラッキーだった。自分で事前に調査も出来るし、リスクと儲けを計りに掛けることが出来た。  
ゴロツキが海外に行くのが珍しかった時代に、俺はあぶく銭をヨーロッパで存分に振り撒いた。フォアグラとキャビア、よく冷えたドンペリニォン、そしていい女。ピーンと張り詰めていた神経を思いっきり緩めて、それからファーストクラスで日本に帰るんだ。  
こうして書いていて、こんなことホントのことだったかと自分で思うのだから、俺の人生は尋常じゃない。
 




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