第266回 『呑む、打つ、買う、の噺』(その2)


子供の頃から賭け事が好きだった。メンコもベーゴマも、何かを賭けて勝ち負けがつくとなると、アドレナリンが身体中を駆けめぐる。その結果、俺は14歳から30年も博奕の世界に首までどっぷり浸かってきた。  
博奕と言っても合法・非合法、いろんな種類がある。長くなるので今回は俺が特に好きだった競技種目を選んで詳しく書くと決めた。  
 
盆とか盆中(ぼんなか)と呼ばれる幕奕場には、たいてい真ん中にピンと張った白い敷布が敷かれている。この白い盆で飯を喰っている博徒には、“テラ取り”と“向こうブチ”の二通りいるんだ。  
“テラ取り”は、客に博奕をさせてテラ銭を稼ぐのが稼業の、言わば盆の主催者で、“向こうブチ”はカタギの旦那衆と一緒に盆に座り、規定のテラ銭を払って勝負をするプレイヤーだ。博徒はこのどちらかに分かれる。昭和20年代から40年代にかけて、盆の主役はサイコロと花札だった。  
俺は14歳の時に、当時山の手一の盆を敷いていた渋谷安藤組の若い衆になって、日本一の博奕打ちを志したのだが、80になって思い返してみると我が事ながらかなりイカレている。なぜもっと楽な代議士か文部省の役人を目指さなかったのだろう。俺だってソンタクくらい出来るのに。  
同じ博奕で飯を喰う博徒でも、“テラ取り”と“向こうブチ”とでは、これはもうまるで違う。所作や顔つきも違えば、瞳の輝きまでほんの十年もやれば変わってしまう。  
カタギに例えれば、宿屋か待合の主人やその従業員と、器量のいい女を連れた客の違いだと言えば分かり易い。
俺は14歳の時、その違いを知らなかった。実家は叩けばカンッと音がするカタギの家だ。両親も兄や姉たちにしても博奕打ちのそんな違いは分からない。歴史や社会の教科書にも載ってないんだから中学生の俺が知っているわけがない。  

俺がゲソをつけた渡世の兄貴、阿部錦吾のことを十行以内で書く。  
兄貴は、親分だった安藤昇より年長で多分40歳くらいだったと思うのだが、生え抜きの古強者だった。しかし舎弟や若い衆は、子供に毛が生えただけの俺しかいない。当時は部屋住みというしきたりがあった。直属上官の兄貴のもと、俺は掃除や使い走りから町内の火の用心までやらされた。
昭和20年の夏に終わった戦争では、中国戦線から南の島へと転戦し、ピストルやライフルなんてものではなく、なんと大砲の弾痕が肩から背中にかけてあるのが兄貴の自慢だった。戦後の大混乱期を腕一本で押し渡って来たヤキの入った男だった。今生きているのは釣り銭のようなものだと、ほとんど毎日、一杯入ると繰り返していた。  
兄貴は昭和44年に初台の玉井病院で亡くなったが、その時も俺が唯一の舎弟で、他には若い衆もいなければ姐さんもいなかった。  
なぜか?それは兄貴がとんでもなく気難しくてスパルタンだったからだ。あまりにキツ過ぎて誰もいつかなかった。姐さんが出ていってしまうほどだから、舎弟や若い衆が務まるはずもない。  
何回ブン殴られたか分からないが、それでも俺は兄貴に感謝している。14歳から24〜25歳まで、この永い年季を凌いだことで俺は鍛えられたのだ。  
兄貴は俺に、極く昔風の“テラ取り”の仕込みをしてくれた。俺が折ったズクは、一晩盆を飛び交っても10枚畳んだ札が膨らみもしなければ、バラバラにほどけることもない。ズクというのは昭和30年代は百円札、昭和40年代は千円札、それから後は万札を10枚、1枚はタスキに掛けて二つ折りにした盆の通貨、“駒”のことだ。客が持って来た札は、盆の開帳責任者の代貸しが全部このズクと交換する。  
ちょっとしたコツがあって、それを知らない者が作ったズクは、盆の中ですぐ膨らんで崩れてしまい坐りが悪い。客に「何処の素人が作ったズクだ」と、テラ銭を取る貸元(主催者の頭、親分のこと)が嘲笑されてしまう。  
あぁ、とても兄貴のことは十行では終わらない。  
花札のアトサキからサイコロのチョボイチまで、ほとんどありとあらゆる博奕の、客の集め方や勝負の判定の付け方、盆のしつらえ、見張り番(非合法だから刑事が踏み込むと博徒も客も両手が後ろに回るのだ)、玄関の客の履物のしまい方と帰る客に間違いなくサッと渡す術。そして一番肝腎な“テラ銭の取り方”といった、もし誤れば指が飛ぶようなことを、俺は兄貴に指定された専門家たちから学んだ。  
専門家と言っても学者や大学院特任教授といった偉いさんじゃない。倶利迦羅紋紋の指が欠けているベテランたちで、賭博開帳図利罪の前科モンだ。安全に、つつがなく客に楽しんでもらい、また次もいい客になってもらうための仕組みを学び、技術を叩き込まれるのだ。  
しかしこんな技術と知識は“向こうブチ”には、知っていれば知らないよりましだというようなことでしかない。  
博奕打ちになりたいと言って来た14歳の俺を、兄貴は安定した収入が期待出来る“テラ取り”にしてやろうと、親心に似た気持ちで仕込んでくれたのだろう。  
全てがオウンリスクで、負け続ければたちまちスッカラカンになって、おこもさんが羨ましくなる一本独鈷(イッポンドッコ)の“向こうブチ”より、客を集めて博奕をさせテラ銭を取るほうが、間違いなく安定している。  
変わり者の阿部錦吾の親心みたいな計らいのお陰で、俺の博奕打ち人生は歪みに歪む。
                (続く)


目次へ戻る