第264回 『先に逝った懐かしい人たち』


俺は大腸癌のステージ4だが、御歳八十で息を止められるのは癌じゃないと思う。無類の食いしん坊で、子供の頃小児喘息だった俺は間違いなく食中毒か肺炎で身罷る。そんなことまで俺にはみんな分かっている。
超高齢化社会になって、日本人の二人に一人は癌にかかり、三人に一人は癌で死亡すると言われるが、豊田泰光さんは気管に食べ物や飲み物が入って炎症を起こす誤嚥性肺炎で亡くなったし、永六輔さんはパーキンソン病、松尾和子さんや中島らもは階段から転落して脳挫傷か硬膜下血腫で亡くなったと聞いている。亡くなる事にかわりはないのだから、死因がなんでもいいのだけど。

菅原文太も安藤昇も“ふくわのジョージ”も、それに淡路恵子も青田昇も、俺と仲の良かった人たちは、もう誰もいない。
文太さんは売れない頃、雪駄を履いた役者にあるまじき姿、はっきり言えば垢抜けない様子で、俺のやっていた青山のレストラン『サウサリト』に来て、当時150円だったサービスランチのカレーやピラフを、つけで貪り食っていた。しかし店のコック連中も支配人も、このなかなか芽の出ない役者がみんな大好きだったので、おそらくそれが日に一度の飯だろうと思って大皿一杯てんこ盛りにして出していたのだ。
俺の親分だった安藤昇が東映に連れて行って、文太さんは芽が出た。それどころじゃない、大スターになった。  
俺がカタギになってテレビにも出るようになった頃、大スターの文太さんにスタジオで顔がついた。会ったというのは俺たちの言葉じゃない。顔がつくのだ。 
テレビ番組の最中に、俺に向かって文太さんが小声で「つけがそのままになっているのが気になっていたんだ。どうか払わせてくれ」と言った。  
俺は「150円のサービスランチの伝票が84枚で12600円残ってますよ。“次のギャラで払う”とか、“年末にまとめて。文太”なんて律儀に一枚づつ何か書いてあるんですよ。これは貴重なものだから、もう払ってくれなくていいです。枕屏風に貼って自宅じゃなくて愛人の寝間に置いておきます」と答えた。  
「あーら、そんな屏風ならあたしんちに置くわよ。いい噺のタネになるわ」と二人の会話に割り込んでチャチャを入れたのは妖艶な淡路恵子さんだった。  

“ふくわのジョージ”は、普通の方はほとんど知らないと思うのだが、ゲイの世界では有名な人だった。四谷に寄った新宿通りの裏の公園の前のビルの地下で、フリルのついたYシャツを粋に着て『ふくわ』というゲイバーをやっていた。最近多い女装のゲイがいるおかまバーではない。俺とふくわのジヨージは昨日今日の仲ではなかった。  
俺が中学3年生だったから、1952年だろう。下目黒の元競馬場のバス停でバスを待っていた俺に「コーヒーを呑みにおいでよ」と、気安く声を掛けてくれたのが、ふくわのジョージだった。その頃、新橋の「やなぎ」から銀座の「ボンヌール」に移った、フランスの俳優ジャン・マレーにクリソなバーテンダーだった。  
おませな俺は、中学の一年先輩の佐野嘉之さんに連れられて、「やなぎ」にも「ボンヌール」にも行っていたんだ。佐野嘉之さんはタッチフットボールのエースで、今でも伝説の遊び人だ。早くに亡くなったが未亡人の泉京子さんが、お元気で浅草の料亭の大女将をなさってらっしゃると俺はインターネットで知った。  
1955年頃だったか、京子さんが電気炊飯器の釜の底に隠しておいたヘソクリを、佐野さんがスイッチを入れて燃やしてしまい、大騒ぎになったことがあった。  
京子さんがところどころ灰になった10万円を崩さぬように、そっと日銀の窓口に持って行ったらちゃんと新札に替えてくれたそうだ。  
ふくわのジョージの店には、俺は若い衆を連れて行ったこともないし、隣りジマ(新宿のこと)の代貸しだとあからさまにしたこともなかった。生意気盛りでかっこつけしいの俺にそれをさせないものがジョージにあったのだろう。  
ふくわのジョージは、俳優を志して和歌山から上京して来たと聞いた。あの映画「オルフェ」のジャン・マレーにクリソだったほどの顔立ちだったのだから、金田勝年が法務大臣を志したのとはわけが違う。ジョージの噺は400字詰めの原稿用紙で300枚でも、難なく書けるのだが、それは病気が治った時の楽しみにとっておこう。  
ゲイバーは、当時はとても特殊な店だった。普通の人たち(要するにカタギの人)はほとんど入ってこない。俺には逆に居心地が良かったんだ。外国人の客も多かった。若かった俺は腕っ節と多少英語が喋れたから重宝されて、ゲイバーの用心棒もやっていた。三島由紀夫さんとも、銀座の「ボンヌール」で知り合ったのだ。  

青田昇さんは俺がお弔いに行った二人の野球選手のうちの一人だ。あとのもう一人は、俺の倍も早い球を抛った土橋正幸さんだ。  
青田さんは俺の大好きだった野球のことは、一つも教えてくれなかった。二人の話題のほとんどは手本引きの胴の引き方と、競艇の頭の決め方だけだったのが、今思うと涙がこぼれるほど可笑しい。

【お知らせ】
20年ほど前に自動車雑誌『GENROQ』に長期連載していた「クルマという名の恋人たち」という僕のコラムが、http://motor-fan.jp/ に再録されています。新タイトルは「華麗なる自動車泥棒」です。 夏頃にまとめて電子書籍で出版されますので、 車好きの方は(そうでない方も)、どうぞ覗いて頂ければ嬉しいです。


目次へ戻る