第260回 『想い出のボクサーたち(その2)』


前回の軽量級が思っていたより好評だったので、味を占めた俺は中量級、重量級とボクシング噺を三回やると決めた。
俺は昔から一度味を占めると、何度でも飽きずに繰り返す。だからいろんな金儲けに手を出し、41回も逮捕されたし、女とは数えきれないほど恋におちた。  
あとで罰や手痛いしっぺ返しが待っていると分かっていても止まらない。こういう性分なのだ。  
余談は止めて、今回は華の中量級だ。今は何と言っているのか知らないが、俺の分類では中量級はフェザー級とライト級で、フェザーのリミットは57キロ、ライトは60キロだった。  
前回取り上げた凄まじく強かったフェザー級チャンピオン、サンディ・サドラーは1957年に引退した。そして30年後の1987年にニューヨークで再会した時、俺の目を見て口惜しそうに呟いた。「古いボクサーがみんなカンバックするのは、今のヤワなチャンピオンたちが何百万ドルもファイトマネーを取るからだ。俺が一番貰ったのはたったの5万8千ドルで、相手はウィリー・ペップだった」と。  
1ドルが360円時代だと言っても、これは安過ぎる。  
50年も前の円やドルを、今だったらいくらくらいに換算するかと俺たち爺さまが話だすと、二回飯を喰ってもまだ結論が出ない。物差しが人それぞれ違うから、いつまで経っても話が終わらないのだ。喧嘩別れになるか、そうでもなければ権力者の主張どうりでその場を納めるだけだ。  
ほとんどの者が金の価値を決める自分自身の物差しを持っていて、人の物差しにはくみしない。  
俺は、他人様に差し上げた祝儀や見舞金なんかは、女の値段を、他人様から頂いた金は洗濯機の値段を物差しにしている。  
50年前の友人の結婚式で包んだ5万円は、「あの頃は金の値打ちが今とではダンチだ。今、銀座の女を朝まで付き合わせれば、5万じゃ嫌な顔をされる。それから考えれば、あの頃の5万円は、今の百万円だな」と言うし、頂いた金の物差しは洗濯機で、「あの頃2万5千円も払えばいいのが買えた。今だって平均的なのは3万円くらいだろ」と言うのだ。  
この物差しはあまりに身勝手で森喜朗の親類だと思われるから、あまり参考にしないほうがいいと、若い読者には申し上げておく。  

さて、中量級のボクサーとファイターの噺だ。  
俺の若かった頃、世界一のフェザー級はサンディ・サドラーで、東洋ではフラッシュ・エロルデに小坂照男、それに金子繁治。俺が大好きだった大川寛、中西清明、田中昇、関光徳、中村勝三と、秋の夜空に輝く星のように凄いのが群れひしめいていた。  
1960年8月後楽園球場で、神戸の高山一夫が世界チャンピオンのデビー・ムーアと闘ったタイトルマッチは忘れられない。  
レフェリーがトランクスを引っ張ってやらなければ、デビー・ムーアは高山の右のショートストレートでリングの外に叩き飛ばされていた。この試合結局判定で負けはしたが、ともかく凄かった。
試合中高山の左目の黒目がなくなって、白目だけになったのを俺は覚えている。高山は打ち込まれて上瞼の中に隠れた黒目をもとに戻そうと、しきりに左の瞼をグラブで上から下に擦りながら15ラウンドを闘い抜いたのだ。強打とテクニックを兼ね備えたチャンピオンを相手に一歩も譲らず打ち合った壮絶な試合だった。  
翌年デビー・ムーアには再挑戦したが、そのときは13回ダウンを取られて敗退した。世界チャンピオンの座はデビー・ムーアに阻まれたが、高山は永く日本のタイトルを持っていた。しかしあまりの強さにファイトマネーを倍にしても挑戦者が現れない。  
だから中村勝三が三度挑戦したんだ。30年ほど前に自由が丘で『チャンピオン』というバーをやっていた中村勝三は、真剣な顔で俺に、「4回目をやっていれば、高山を倒していた」と言った。素敵だ。プロはこうでなければいけない。なんだか俺は嬉しくなった。  

そしてもう一人、俺の記憶に刻まれているのが中西清明。人間ではなくこれは北海道の羆だと、打たれたことがある者なら誰でも思うような、素晴らしい左を中西清明は持っていた。  
大川寛や金子繁治と日本タイトルを取ったり取られたりした中西清明だが、その左フックの強さはプリモ・カルネラでもブッ倒していたのに違いないと思う。  
見ていたファンが青ざめた顔を引き攣らせて思わず息を呑む凄まじいパンチだった。応援していたファンが拍手したり歓声をあげるのを忘れてしまうほどなのだ。102戦して60勝21KO勝利という中西だが、あの左フックを凌いだ金子繁治も大川寛も、それにウエルター級だった沢田二郎も、凄いタフネスだったとつくづく思う。  
引退した中西さんと羽田空港の国際線出発ロビーでぱったり会ったのは、1961年か62年だった。俺はその頃日本航空のパーサーをしていて、制服姿で搭乗機に向かっているところだった。  
「あれ中西さん、どちらへ行かれるんですか?」と訊いた俺に、中西さんは「うん、仕事。台湾」と言って、札入れから普通の三倍もある大きな名刺を取り出した。  
そして「俺、いま蒋介石陸軍の拳闘師範をしているんだ。驚くな、将官待遇だぞ!」と笑いながら俺に渡してくれたのだ。  
その大きな名刺には、名前の右に大きく“日本拳聖”とあって住所も何も書いていない。  
羆の左フックを持っていたファイターは、引退すると日本拳聖になっていたのだから、成蹊大学出の安倍晋三の手下の国会議員や網タイツの防衛大臣なんかとは格違いだ。  

次はウエルター級とミドル級の懐かしい面々だ。
 


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