第258回 『五ヶ月ぶり』


この前この日記を書いたのは三月七日だったから、実に五ヶ月ぶりだ。大腸癌を追い払って気力を取り戻すのに、これだけ時間がかかったと、言い訳にもならないことをとりあえず書いておく。
こんなことをほとんど自動的に言ったり書いたりする習性は後天的に備わったもので、両親や祖母の遺伝子の所為ではない。
若い頃は検事と刑事、オッサンだった頃は税務署と銀行や金貸し連中、ここ三十年ほどは女房殿と飼い猫のウニを相手に本当ではないことをまことしやかに繰り返すようになったのだ。(あ、読者の皆さんにはいつも本当のことを書いています。信じてくれなくても…)  
本来、俺は嘘をつくような男ではない。「譲二」というのはペンネームで、親がつけてくれた本名は「直也」だ。素直な子になってくれという願いが籠っている。  
二度も全身麻酔をかけて、ヘソがどこかに消えるほど俺の腹を切り、ご親切にも四月くらいまでの寿命だと医者が言ったから、根が素直な俺はつい真に受けて、大事にしていた時計もカメラもライターもみんな見舞いに来てくれた方たちにあげた。  
そこらに転がっているものじゃない。  
時計はオメガやパテック・フィッリップだし、カメラはブローニーフィルムを使う蛇腹のスーパーセミイコンタだ。
ジッポのライターは、両切りのキャメルを喫む人がいなくなってアメリカだけではなく日本でも使う人を見なくなったが、俺は三ヶ月前まで大事に三つ持っていた。  
二十年ほど前にハノイに行った時、古道具屋というかガラクタ屋に、使い古したジッポが屑鉄みたいに置いてあるのを見た。俺はこの二日間、いい言葉を探すのに費やした。怠けていたわけじゃない。雑然と棚ざらしになっている様子を伝える言葉が見つからなかったんだ。“屑鉄”という言葉がやっと出て来て続きを書き始めた。  
病気になる前なら、二時間もあれば書けたこの文章が、ここまで書くのにほぼ三日もかかった。知識と記憶が頭からまだらに蒸発して、正直言ってもうこの身辺雑記さえスラスラとは書けない。  
ハノイで目にしたジッポの残骸は、ベトナム戦争時、アメリカ兵の遺体から集めたものだろう。  

ここでちょっぴり自慢噺を書く。ジッポのライターは俺が知る限りほとんどがステンレススティールで、稀にスターリングシルバーのものがある。つまり銀色ばかりで金色のものは珍しい。半年ほど前インタビューに来たオッサンのカメラマンが珍しく煙草喫みだったので、嬉しくなってあげてしまった黄金色のジッポは金メッキでも金張りでもない、18金無垢、ソリッドゴールドだったのだ。  
俺は鑑別所でも刑務所でも煙草を喫み続けた男で、79歳になり癌や肺炎で入院してもヘコ垂れず、今でも毎日二十本は煙草を美味しく喫み続けている。  
人間は生まれた途端に、大赦も恩赦もナシの死刑判決を宣告される死刑囚だ。ここまで生きたら御の字で、80を目前にして健康に悪いからとか言って、好きな煙草を止めるような男ではない。人生観が全く違うんだ。  
俺は死ぬ寸前に両切りのピースを、燻らすなんてことではなく、肺の奥まで吸い込んで、『永い間、本当に有り難う』と呟いて永眠すると決めている。
今は女房殿が、ショートホープよりは軽いからと薦めてくれたラークの9を喫んでいるが、最後の一本は両切りの、それも缶ピースがいい。俺が大好きだったアメリカのキャメルも、イギリスのキャプスタンも、それにフランスのジタンもみんな両切りだった。
女は日舞か陸上競技をやっていた細身に限るし(投擲ではなくってこと)、煙草は誰が何と言っても両切りに限る。
俺は永眠という言葉がとても気にいっている。死ぬんじゃない、眠るんだからある日突然、目が醒める。生まれた時もそうだったろう。安部家の末っ子として生まれようなんて、思った記憶はない。いつの間にか“生”が始まって、最後はただ眠るんだ。  

俺は身の回りにあった自慢のものを、片っ端から見舞いに来てくれた方たちに、ありがた迷惑だろうと何だろうと気前よくあげた。  
もう俺の自慢の品は、80年ほど前に連合軍の兵士の為にアメリカでライセンス生産されたダンヒルのサービスライターくらいしかない。いいものだと俺は自慢しているのだが、誰も欲しがらないから不思議だ。
日記が滞っている間、読者の方からいろいろなメールを頂いた。
心配してくださってどうも有り難う。
よく食べ、よく眠り、体力が戻ったので、これからはサボらずにまた日記を続けて行く。
 


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