第257回 『1954年のロンドン』


決してロンドンが一番好きな街ではない。 この歳になって、もう自由に旅行も行けなくなったから、矢鱈懐かしいだけだ。
いい女に惚れられた覚えもないし、金を儲けて笑いが止まらなかったこともない。  
男が“凄くいいコースだった”と言うゴルフ場は、コースレイアウトや芝がいいわけではない。そいつがたまたまいいスコアを出した所なのだ。
俺が好きな街は、女に惚れられたり、危ない思いをせずにアストンマーティンやモーガンが新車で買えるほど儲けた所だ。  
俺は超か弩がつく喰いしんぼうで、よくこの歳まで肝臓が悲鳴を上げなかったと自分でも呆れるほどの大酒呑みだった。ところがイギリスのローストビーフは、向こうの景色が透けて見えるほど極端に薄く切る。  
俺はアメリカ風の厚切りで、背脂もちゃんと付いているローストプライムオブビーフでなければ、旨い牛肉を喰った気がしない。  
ロンドンの値段の高いレストランに行くと、ワゴンに巨きなローストビーフを載せて、テールコートのウエイターが(格式の高い店では白衣にデカいコック帽のシェフはホールには滅多に出て来ない)、手慣れた所作で音もなく、唖然とするほど薄く肉をカットする。  
このカーヴィングが、カチャンという音を発てずに出来るから、このヘッドウエイターはトライアンフのメイフラワーかリナウンぐらいは乗れる給料を貰えるのだ。  
スカッチは旨いが、イギリス人は水割りに氷を入れない。これはイングランドに限らず、スコットランドでもアイルランドでも、土地っ子は水割りに氷は入れない。  
俺は足を洗って作家になったが、もし御縁に恵まれて星崎電機(全自動製氷機の会社だ)の営業になっていれば、イギリスで製氷機を売り捲くって、社長は無理でも重役には間違いなくなれた。  
ちなみにイギリスでパブの入り口に『アメリカンビールあります』みたいな張り紙があったら、それは“バドワイザーやクアーズを置いている”ということではなくて、“チンチンに冷やしたビールを置いているよ”ということなのだ。イギリス人は氷で冷たく冷やした酒の旨さを知らない。

1954年のロンドンは、まだ牛肉を自由には買えなかった。戦勝国なのにイギリスでは配給制度だったのだから、この国は綺麗な女優さんは滅多にいないけど、辛抱強い国民性なのだ。  
その当時、配給外のマトンばかり食べていた俺は、何かの用でハンブルグへ行って20オンスのステークを、ほとんど涙ぐみながら食べた覚えがある。  
生後1年未満の仔羊=ラムではない。8ストーン以上に育った大人の羊だ。イギリスでは、重さの単位はキロではなくストーンなんだ。ヤードポンド法で、1ストーン6.3キロくらいだから50キロぐらいか。いちいち換算するのが面倒臭い。  
ハンブルグは、言うまでもなく敗戦国ナチス・ドイツの北西部にある港町だ。イギリス空軍の爆撃で、あの有名なハーゲンベック動物園の縞馬と一緒に、5万人の市民が殺されている。ロンドンでは食べられなかったビーフステークを、そんなハンブルグで食べられたのはなぜだろう?  
俺には分からない政治や経済、流通の法則があるのだろうが、戦争をやりたがる安倍晋三は、こんなことを知っているわけがない。  

イギリス人のおかしな話を思い出したから書いておこう。  
イタリー系の魚屋でキッパス(鰊の薫製)を買ったら、店の親爺が「今晩6時にタウンホールで面白いことやるぜ。一緒に行って一杯やろう。お前さんもボクサーの雛だろう」と嬉しそうに誘う。卵と言わずに雛と言ったのが気に入った。  
2シリング6ペンス(当時の一番大きい銀貨ハーフアクラウン)の入場料で、市会議員と荒物屋のオッサンが、14オンスの大きなグラブで闘うのだそうだ。  
暇だし話のタネに俺は見に行った。タウンホールの中央に小さめのリングが張られ、満員と言っても200人ほどの見物客が集まっていた。  
前座試合なんか無い。両コーナーに、それぞれ初老の肥った男が立ち、厳めしい顔でロープを跨ぐ。  
リングアナウンサーは街の素人のオッサンで、隣にいた魚屋の女将さんが、あのオッサンは戦争中ベイスウオーター署で刑事をしていたと、よそ者の俺に教えてくれる。  
赤コーナーはベテランの市会議員で、青コーナーは荒物屋の主人だそうだ。酒場で殴り合いになりそうになったのを止めたら、このままでは終われない、決着はちゃんとしたルールで付けようと、今日の試合の運びになったのだという。  
「喧嘩の原因は?」と、俺が訊いたら魚屋の女将さんは「支那では原因が無ければ喧嘩はしないのかい。ここじゃ腹を立てるとすぐ殴り合いになるからね」と、いつまで経っても俺のことを支那人だと思っている。結局喧嘩の原因はよく分からなかったが、どうせ大した話じゃないのだろう。
リングアナウンサーの元刑事が「今夜リングを取り仕切るレフェリーは、ランディー・ターピン!」と叫ぶと、場内がどよめく。その当時イギリスで一番強かったジャマイカ生まれのミドル級だ。「おおッ。ランディーッ。サインしてくれ」と前の席のオッサンが叫ぶ。  
3年前の1951年、ランディー・ターピンは世界ミドル級王者シュガー・レイ・ロビンソンを倒して世界王者になり、イギリス中を沸かせたのだ。もっとも数ヶ月後の再戦で敗れてしまったが、それでも大変な人気だった。

二人のオッサン選手は、普通3分のラウンドを2分に縮めて2ラウンド闘う。「レフェリーだけ超一流の試合だな」と俺が言ったら、隣の隣にいた魚屋の親爺が、「なーに試合なもんか。照れ臭い仲直りだよ」と笑う。
2分のラウンドを2回、市会議員と荒物屋の主人は、ヨタヨタハァハァと、けど必死に闘った。最終ラウンドのゴングが鳴ると、二人共コーナーの丸椅子にヘタリ込む。  
それをランディ・ターピンが引き起こして立たせ、リングの真ん中で握手をさせる。そして勝者の手は上げず、背中を撫でて“荒物屋の勝ち”と皆に教える。  
2シリング6ペンス払ってタウンホールに集まった連中は、おばさんから子供までどちらかに賭けていたからだ。  
「ランディー、審判は下手クソね。市会議員のフックで荒物屋は泣きそうだったじゃないの」と魚屋の女将さんは不機嫌だったが、リングの上の3人に、ジョッキの黒ビールが渡され、会場の全員にも紙コップでビールが振る舞われた。いい仲直り興行だった。
 


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