第256回 『オヤジさんが亡くなった』


俺は仕事部屋に介護ベッドを置いて病室(?)にしている。廊下を挟んでトイレも風呂も目の前だ。もちろんウニと女房殿のスペースであるリビングで過ごすことが多いのだが、この十二畳の空間が今の俺の小宇宙だ。
パソコンも、CSも見られるテレビも本棚も、冷蔵庫まであるから、世の中のことはここでほとんど分かる。  
人は歳を取ると大抵は病気になって、そして永眠する。極く少数の幸運な老人は、病気ではなく老衰で息を引き取る。  
昨年の12月16日、俺の親分だった安藤昇は病気とは無縁で、89歳の天寿を全うした。  
雑誌や新聞から電話がかかってきてコメントを求められたのだが、女房殿が丁重に「アベは今、病気療養中でコメントは出来ません」とお断りした。俺なんかのところにこれだけ電話があるのだから、他のもっと偉い兄貴連中はみんな死んでしまったか、連絡がつかなくなっているのだろう。
余談だが、最近テレビや新聞や雑誌にコメントするのが嫌になっていた。そのほとんどは30分も1時間も話したのに、4〜5行に勝手にまとめられていたりする。それもこちらの真意とはかけ離れた内容だったり、先方の取材目的に適う内容だけ切り取られたりする。意図に合わなければ、“今回のコメントは使えませんが、取材費は5千円お支払いします”なんて言って来る。そんなのはもう面倒なんだ。  

話を戻そう。俺は昭和29年当時、間違いなく安藤昇の330番目の若い衆だった。嘘でも法螺でもない。
代紋のバッジを作ることになって、一番若かった俺が渋谷のバッジ屋に300個注文しに行かされた。十日くらい経って受け取りに行ったところ、バッジ屋はおまけに30個つけて330個代紋バッジを渡してくれたのだ。
当時の渋谷安藤組は、東興行か東京宣伝社と名乗っていた。東興行は興行や大井競馬場の用心棒や警備を受け持ち、東京宣伝社はサンドイッチマンの手配をやっていた。  
俺は『ハッシャバイ』のバビー旗、後の旗照夫の最初のリサイタル(確か多摩川園劇場)や、空手の大山倍達が牛の角をへし折る興行の警備員をやった覚えがある。  
代紋バッジを持って帰った俺に、親分の安藤昇は箱の中から一つ取り上げると背広の襟に留め、「上目(うわめ)の者から順に配れ」と言った。  
安藤組の代紋バッジは、地が艶消しの黒で縁が金色、真ん中に花文字の『A』が描かれている。「ダイヤモンドもプラチナもいらねぇ。上目のモンも下っ端も同じでいい」と親分は言った。顔と貫禄で差はついているということに違いなかった。  
俺が知る限りアルファベットを使うのも、上下無し(階級で区別しない)の代紋バッジも、日本の極道史上初めてだと思う。  
俺は言われた通り大幹部連中から配っていった。特に怖い森田雅さんに渡す時は指が震えたのを覚えている。  
駆け出し連中に配っていると、だんだん数が少なくなって俺はハラハラした。そして箱に残った最後の一つを、俺より僅か二月前に入って来た専修大学の藤本が摘み取った時は、まるで命を取られたような気分になった。
当時俺は17歳で、安藤昇は十二支で一回り年上だったから、まだ29歳だったはずだ。その若さで300人以上も子分がいたのだから、俺なんかとは人間の器が違う。  
空の箱を持って呆然と立ち尽くしていたら、親分は自分のバッジを外して俺のジャケットの襟に留めてくれた。  
この時、俺は「ああ、この人の為に命を捨ててもいい」と思った。    

それが昭和29年。それからいろんなことがあった。  
安藤組解散式の数ヶ月後、青山の『サウサリト』という俺のレストランで昼飯を食べた親分は、「これからお前さんのことをなんて呼ぼうか?アベさんかな?」と言うから、「ナオで充分です」と俺は答えた。  
俺が作家になってから、週刊誌の『アサヒ芸能』の企画で、東興行のあった場所を親分と俺が指差している写真を撮ることになった。俺は渋谷の道玄坂の上で待っていたのだが、親分は出版社差し回しのハイヤーでスッと現れると、3〜4ショットカメラマンに撮らせて「これでいいだろ」と言って、またサッとハイヤーに乗り込む。  
そして車のそばまで送りに行った俺に、「まだ今度の女と顔が突いてないだろ。いっぺん飯でも喰いに来い」と言う。カタギ語に翻訳すると“アベはまだ今度の女房に会ったことがないだろうから一度御飯を食べに来い”ということだ。  
「あ。また変わりましたか。一度御挨拶に伺います」とそれだけ言えばいいのに、俺は一言余計だから出世が思うようにならなかった。  
「それでオヤジさんは、あっちの方はまだ大丈夫なんですか?」と訊いたら、車の窓を一杯に開けて、親分が「それがなあ、歳だから最近は芯が心もとない」と呟いたのが今から20年以上も前だ。  
最後に会ったのは8年ほど前、八重洲のステーキハウスだった。親分は矍鑠としてよく食べよく飲んでいた。俺は飲み過ぎてブザマにも転んでしまったというのに…。  
オヤジさんは、とにかく格好のいい人だった。


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