第253回 『ご先祖様のこと(その2)』


母・玉枝はお仲人さんの山下太郎さんに勧められて、お見合いの前に父を見に行ったのだと俺に話したことがある。
「いろいろ噂が耳に入るだろうから、一度どんな男なのか見合いの前に自分の目で確かめておいたらどうだ」と、山下さんがおっしゃったのだそうだ。  
東京五反田・池田山の梶原家(母の実家)の真向かいにあったのが山下さんの屋敷で、山下汽船の社長だった。戦後、アラビア石油を創立して、ペルシャ湾海底油田を採掘し、 “アラビア太郎”と呼ばれた方だ。
祖父の安部正也が宗像(むなかた)汽船の社長だったから、同業の山下さんとは親しかったのだろうと母は言う。  
「うちの長男にいい嫁がいないか」と祖父が言ったのに、仲人が何より好きだという“お節介爺様”の山下さんが飛びついて、「俺の家の向かいの梶原仲治の娘はどうだ?」という話になったらしい。  
とにかく大正から昭和に変わりかけている頃の日本だ。結婚が愛に基づいて成り立つなんて、小説家だって考えてもいない時代だ。  
あき竹城が宮崎あおいになってしまうほど修正された“お見合い写真”で、嫁入り先が決まってしまうのが当たり前だった。今の写真の修正技術も凄いが、この当時から手先の器用な日本人は、この手のことは大得意だった。お見合いの場で、もしくは写真だけで決まった結婚式の会場で「ウソ、これマジかよ!」ということがよくあったらしい。  

と、そんな話はさておき…、山下さんの勧めで、聖心女子学院卒業生の“みこころ会”四回生だった母は、父・梶原仲治に連れられて、正月の東京帝大対京都帝大のラグビーを見に行く。  
まだ読売巨人軍もガンバ大阪もないこのころ、大変な人気だったのだから、日本人のラグビー好きには歴史がある。五郎丸はまだ祖父母も生まれていない。  
母は初めて目にするラグビーだから、ノックオンもスローフォワードも分からない。  
東京帝大の選手が一人、フィールドで倒れたまま起き上がらない。控えの選手がヤカンを持って駆けて行き水を呑ますのだが、選手は伸びたままだった。その時、祖父が「あいつがアベだ」と呟いたと母は言う。  
仲間に担ぎ出された男は間もなく包帯で頭をグルグル巻きにされてフィールドに戻り、審判に会釈してそのままルーズスクラムに突っ込んで行った。  
大変な拍手だったと母は言う。「いくら寒くてもラグビー見物に手袋は禁物よ」と、母は末っ子の俺に20回も同じことを言った。  
手袋をしたままだと拍手をしてもいい音が出ないし、外せば外したで置き場所に困ると、当時20円もしたペッカリーの手袋のことを母は語った。
その試合が大正何年で、どちらが勝ったのか俺は知らない。
 
昭和元年に神戸須磨の安部家の長男正夫と、梶原仲治の次女玉枝は結婚する。もちろん山下太郎さんがお仲人だ。  
結婚したと言うより、嫁に行ったと言うのが正しい印象だと思う。  
これも父が83で亡くなった後で母から聞いた話だが、同じ金持ちでも安部家と梶原家では格が違ったらしい。  
俺は昭和18年までこの池田山で育ったから、梶原の屋敷がどんなだったか覚えている。当時の池田山はお屋敷ばかりだったのだが、その中でも梶原家はひときわ立派だった。  
敷地は約二千坪。門を入ると玄関まで玉砂利を敷き詰めた道が続き、車寄せの前に島みたいな植え込みがあって、門から覗いても中の様子や人の出入りが見えないようになっていた。庭には立派な梅林もあった。  
建物は三階建ての洋館で、広い玄関には入り口の壁に母犬が子犬にオッパイをあげている巨きな油絵が掛かっていた。  
玄関近くにスモーキングルームがあり、天井まで壁一面に洋書が詰まっている造り付けの本棚があった。隣は正規のサイズのビリヤード台が据えてある撞球室だったが、祖父や叔父が玉を突いている写真は一枚も見たことがない。  
そしてその向かいにあったのがピアノ室だ。 名前は分からないが外国製のグランドピアノが真ん中にあって、庭に面した窓際には練習用のアップライトピアノが置いてあった。  
俺の姉、福久子と恵子の為に祖父が二台買ったのに違いない。姉たちにピアノを教えてくれた先生は松田トシさんだった。70代以上の方には懐かしい名前だろう。後にNHKで放送された『うたのおばさん』に出演して有名になった。笑顔の素敵なお姉さんだった。  
他にも浄瑠璃の河東節の名取りだった祖母と母の稽古場や、仏間、洋間のリビングに応接間、客間もあって、お手伝いさんの部屋や庭番の爺やや運転手さんも敷地の中に住んでいた。  

自慢話めいて、こんな話は今までほとんど書かなかったのだが、もう別にいいだろう。本当の話なのだが、自分で書いていても、人が聞いたら「またアベのホラ噺が始まった。そんなに話を盛るなよ」とか「どうせ吐くならもう少しマシなウソを吐け」なんて言う声が聞こえて来そうだ。
そういえば、このH.Pの『手配写真??』第27回に「梶原仲治とその家族」というタイトルで写真が載っているので、まだ疑っている読者はどうぞ見てくれ。  

梶原家の話はまだまだ続く。(多分)


目次へ戻る