第250回 『ロウソクと真鍮の管』


脳ミソが溶け出すほどの今年の猛暑を、俺はスイカとガリガリ君とあずきバーで辛うじて凌いだ。
俺のパソコンは、齧りかけのリンゴが商標のアップルだが、平仮名で“すいか”と打ち込んで変換キーを押すと、最初に“西瓜”と漢字が出る。
大昔の日本に仏教や漢字と一緒に伝来した食べ物だから、いつの時代にもいた安倍晋三や森喜朗みたいなバカな権力者が、御用学者に教えられて、西から来た“瓜”と得意になって嵌めた漢字だと俺には分かっている。
それはともかく今年のスイカは、たとえようもないほど旨くて甘かった。“西瓜”なんて無味乾燥な漢字はふさわしくない。  
綺麗な彩芽チャンには、ゴウリキなんて女プロレスラーみたいな苗字より、安部の方がずっと雅だと俺は思っている。アベも安部で、阿呆の阿部でも成蹊しか入れなかった安倍でもない。  
仕事部屋の冷蔵庫で冷やしておいたスイカは、本当に目が眩むほど美味しかった。森喜朗がもしスイカの旨さに気が付いていたら、ゼネコンから届く新国立競技場の分も、電通から届くロゴマークの分も、賄賂はみんな小切手ではなく、スイカで受け取るのに違いない。  
日本人は豊かだから、スイカを御飯のおかずにはしないが、パキスタンのカラチ港で俺は見たのだ。  
小さな釣り船のキャプテン・チャーリーは、昼飯時になると大きな弁当箱と小さなおかず入れを開いた。大きな弁当箱には一杯に詰まった飯が入っている。そして可愛いいおかず入れには角切りにしたスイカが入っている。デザートの果物ではない。角切りスイカをおかずにして飯を食べていたんだ。飯には胡麻塩も振っていなければ、梅干しも沢庵もついていない。
本当だ。いくら小説家でもこんな作り話は書かない。  
懐かしくキャプテン・チャーリーのことを思い出していた俺だったが、女房殿が旨いおかずで飯を喰わせたから、カラチ風は真似たことはない。

少しカラチの話をしよう。しかしたっぷり半世紀前の話だから、事情が変わっているかもしれない。  
東京でも50年前には女の貞操が300円で買えたし、俺が私淑していた大野伴睦先生は何をなさっても、森喜朗みたいに怪しまれることはなかった。
政治家としてはかなりエゲツナイことをシレッとやってのける方だったが、今のチャチな政治家とは器が違った。  
俺はカラチの街中の通りで、真鍮のストローみたいな管で痛みもなく見事にイオノメを吸い出す凄い商売人を見た。魚の目なんて言うのは素人で、本当はイオノメと言うんだ。  
もう一人の凄い商売人は、溶かしたロウソクのロウを銅の椀に入れて持っていて、これで重傷の水虫をその場で治す。  
どちらも道にゴザを敷いて坐っていて、客が来るのを静かに待っている。看護婦も助手もいなければ薬局もない。  
香港では歯医者のことを、“牙科”と言うのだから、この往来をイオノメと水虫を治す医院にしている彼らは医者で、専門は“脚科”だろう。  
ごつくて矢鱈と頑丈な靴を履くイギリスが旧宗主国だったから、イオノメや水虫の治療法が発達したのだ。このころのパキスター二はみんな裸足だったから、イギリス人以外イオノメも水虫も出来ない。俺はカラチにいる間に、ほとんど完璧にこれらの医術を学び取った。  
僅か一時間半ほどで、細いガラス繊維のようなイオノメを一本ずつ見事に吸い出してしまうのだ。血も出なければ痛みもない。俺は 5ドル払って真鍮の管を買って、日本に持ち帰った。  
昭和40年に小西酒造の婆様が、東京の大学病院に入院してイオノメの手術をしたのを俺は知っている。足の裏に出来たイオノメを、ベーゴマのように逆円錐形に切り取るのだから、痛いし治るのに二ヶ月もかかっていた。カラチでは、たった一時間半だ。  
水虫はロウを丹念に患部に垂らすことで、綺麗に治る。白癬菌は溶けたロウの温度が白癬菌を殺すのにちょうど具合がいいらしい。ロウは剥がして溶かせば、何度でも使えるから安上がりで、カラチで買わなくても日本で手に入る。  
免許はないけど、俺は今でもレッキとした脚科の医者だ。
家の玄関に看板を出したいくらいだ。元手はほとんど掛からない。
 


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