第249回 『本当になりたかったもの』


なりたくてなったのは、JALの客室乗務員だけだ。俺は安藤組に入ったのも、今まで言って来た“勝負ゴトが好きで博奕打ちになってしまった”なんていうことでは、実はない。
渋谷道玄坂の裏通り、恋文横町の裏の小道ですれ違った俺に、何かひと声掛けてくれた安藤昇の男っぷりにポーッとなったのだ。そしてそのまま、まるで蜘蛛の巣にかかったシオカラトンボの子供みたいに絡めとられてしまったのだ。  
剛力彩芽ちゃんみたいな娘さんや、黒木メイサのような綺麗な若奥さんが、ちょっとワルそうな危険な男と出奔したりすると、周りの男は“なんであんな奴と?”と必ず思う。そんな時、口に出して喚く俺みたい男は少数派で、大抵の男は眉を顰めて我慢して、何も言わない。  
中学二年生だった14歳の俺は、十二支でひと回り年上の安藤昇に多分恋をしてしまったのだ。こうなるともう、カネも命も要らなくなる。  
しかし、安藤組の裾に加えてもらったのはいいが、哀しいことに俺には度胸も博才もなかった。ゴロツキの若い衆が、これでは目が出るわけがない。“メ”はどんな漢字を使うのか、俺はすぐには思い当たらず、タバコを一本吸いながら考える。カタギだと“芽”なのだろうが、チンピラでも博奕打ちなのだからこの場合は“目”だとようやく考えがまとまる。  
78でこうなのだから、いくら若くても水際立った出世なんか出来たわけがない。
くすぶった俺にも女はいた。SASでスチュワーデスをしていた二つ年上の女だ。  
ある時新聞を見ていた女が、「あんた、JALで客室乗務員を募集しているわ。これ受けてごらんなさい。身長165p以上、両眼1.0 以上、高等学校卒業。あんた去年夜学の高校を卒業して、ポロポロ泣いていたわよね」と言ったのだ。  
安藤昇は、彫り物も指詰めも嫌いだったから、俺もそれに倣ってそういうものはしなかった。だから今でもゴルフ場で風呂にも入れるし、温泉にも行けるし、ジャンケンでパーだって出せる。身体検査はOKだ。  
俺は「よし、やってみよう」と思った。受かるかどうかは別問題だ。  
そこらの会社の課長より高い月給を貰って、スチュワーデス付きの海外旅行をするんだ。そう決めた俺は図々しく入社試験を受けてJALに潜り込んだ。だからこれは“なりたくてなった”のだ。  
それ以外は全部、他にカネが儲かることがなかったから、身体や命を切り刻むようなことでも、俺は魚や鳥のように考えずに何でもやって、現在に至る。  
作家になったのだって、自分で望んだり努力した覚えはほんの少ししかない。  
48か9ぐらいでデビュー作が大ヒットして、運良く作家の肩書きを名乗れるようになった。ブームはホンの4〜5年のことだったが、よく儲かったけど矢鱈忙しかった。それ以降も休みなんか一日もなく西へ東へと走り回った。  

俺が坐っていた汽車のシートに近づいて来たのは、当時中日ドラゴンスのリリーフエースで、40センチも落ちるフォークボールを投げた牛島和彦だった。丸々と太ったドカベン香川が相棒だったが、日本一のストッパーはハンサムでスリムな好青年だ。  
「香川が聞いて来いと言うんで伺うんですけど、なぜアベさんは、父より年上の先生なのに僕たちプロ野球の選手を“さん”付けで呼ぶんですか」と、少し照れながら言う。  
俺にはこの穏やかな野球選手がただ者ではないことが分かる。この好青年はただの野球が上手な若者ではない。この若さで、命が二つあっても足りないほどの修羅場を凌いで来た男だと俺には分かる。バットとボールだけの野球場で出来たものではない。  
俺の方が“それはなぜ?”と訊き返したかったのだが、その前に牛島はもう一度同じことを言った。  
「うん。俺はキミみたいなスタープレイヤーだけではなく、二軍の選手でも必ず“さん”を付けて呼ぶんだよ。それは俺が若い頃、プロ野球の選手になりたくて仕方がなかったからさ。給料や球団なんか、いくらでも何処でもよかった。ただプロ野球選手になりたくてたまらなかったんだよ」  
だから高校を出たばかりの若い選手にも、俺は尊敬しているし羨ましいから、呼び捨てには出来ないんだ…と言ったら、牛島和彦は深く頷いて自分の席に帰っていった。  
そんなことを俺は懐かしく想い出す。


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