第248回 『たら、れば』


皆が熱狂している高校野球を、俺は見ない。
読者は俺のちょっと変わった考えをよく御存知だと思うから簡単に書く。
“朝日新聞のやっている奇怪な坊主刈りの野球は、少年院の大会か。刈らせる教師も父兄も嫌だ。きっと自民党と公明党の票田に違いない”と嫌悪しているからだ。
しかし夏の甲子園大会を無視している俺も、 予選を勝ち抜いて甲子園に進んだ選手たちの栄光を心底羨ましく思う。若い頃に栄光に輝く想い出を持っているか、いないかで、人生が相当変わって来ると俺は思っているからだ。  
そう確信しているわけではない。二度も全身麻酔をかけられて、記憶と知識が混濁した俺の頭は、そうではないか?多分そうだ…ぐらいまでしか情けないことに考えがまとまらない。
もしかすると頭がボンヤリしたり、確信が持てなくて気持ちがフラフラするのは、年齢から来るボケの所為なのに、全身麻酔のせいにしているだけかもしれないと正直に書いておく。  
“瞬間自動嘘つき器”と誤解されている俺は、本当はとてもが六回付くほどの正直者なのだ。  
とにかく京大や東大みたいな大学に、入学しただけではなく、ちゃんと卒業した若者を俺は尊敬するし、メダルには関係なくオリンピックに出たというだけで、自分に較べて溜め息が出るほど羨ましい。  
長い78年の歴史を考えてみると、俺も確かに二回は若い時分、栄光のトバクチに立ったことがあった。  
最初にトバクチに立ったのは、忘れもしない昭和25年で、俺は12歳だった。俺は麻布中学の入試に通った。戦争に負けてそれは貧しかった日本だから、公立の中学より空襲で焼け残った私立中学に受験生が集まったという理由もあって、東京では麻布・芝・開成が御三家と呼ばれていたのだ。
近くにあった飯倉片町の麻布小学校からは、10人受験して3人しか合格しなかった。勉強はしなかったが、野球とラグビーには大変な情熱を傾けた。  
ラグビーのちょっとした技術、ドロップキックやタイトスクラムで下から押し上げる技も、野球でボークを取られない牽制の仕方もプレイスヒットも、みんな中学の2年間で身に付けたのだから、俺は天才少年だったのに違いない。  
同じ頃にラグビーを知った草津正武(後の国際プロレスのグレート草津)は、八幡製鐵の日本一のロックになり、野球を覚えた浅草の魚屋のせがれ土橋正幸は、フライヤースのエースになったのに、俺はトバクチで早々と道を踏み外し安藤昇の舎弟の舎弟になって、野球やラグビーとは縁が遠くなる。

もう一度俺が栄光のトバクチに立ったのは、 23歳の時だった。子供の頃に麻布中学に受かったことなんて、これに比べると黒木メイサと森三中ほども違う。  
前年の22歳の時、4年遅れで夜学の高校を卒業した俺は、渡世の兄貴の阿部錦吾から「高校を卒業するのに7年もかかるなんて、お前は変わりモンだ。普通は途中で止めるぞ。お前は学校マニアか!」と言われていた。
しかし、この先四年制の大学に進むと俺は26歳になってしまう。さてどうしたものか、とチンピラをやりながら思い悩んでいた。そして結局、戦前の日本郵船で事務長監督をしていらした加藤翔先生が教えていらしたYMCAのホテル学校に入ることにしたのだ。加藤翔先生とのご縁も書けば、読者がウンザリするほど長くなるので今回は書かない。  
そんなわけでホテル学校でクスぶっていたら、YMCAの先輩だという日本航空でパーサーをしている男が講演に来て、“乗務手当やなんやかやで月に5万円にはなる”と言ったから、小遣い稼ぎに苦労していた俺はすぐ次の客室乗務員の募集で日本航空の入社試験を受けた。  
いけ図々しいというのか、バカというのか、この時俺は、自分が警視庁のB資料(ヤクザ・愚連隊の写真付き名簿)に載っているレッキとしたチンピラだということも、逮捕歴10回以上、前科も3〜4犯あったことさえ綺麗さっぱり頭から消えていた。  
兄貴と親分には、「身内に一人くらい飛行機乗りがいてもよござんしょ」なんて、いい加減な断りにもならないことを言ったのだから、この頃の俺はただのチンピラではない。こすっからい詐話師でもあったと思う。  
詐話師は詐欺師とは違う分類だ。相手に勘違いさせるプロだ。兄貴にしろ親分にしろ、パーサーもパイロットも区別が付かない。  
「そんな役所みたいな所でお前みたいな奴を飛行機乗りにしてくれるのか。絶対入れるわけがないだろうが、恥をかくのを承知ならやってみてもいいだろう」と言ってくれた。  
俺はちゃんと入社試験を受けて、第3期のスチュワードになり、半年後に第11期のパーサーに昇格して袖章が2本に増える。  
今になって、もしあの時自分が人並みだったら、どうだっただろうとボンヤリ考える。 他の同級生と同じように、俺も麻布高校を卒業して、どこかの大学にきちんと通って、入社した会社で定年まで真面目に勤め上げていたら、今ごろは年金を貰って将棋センターか碁会所なんかに通っているかしらん。  
中学2年で安藤昇に出会わなかったら、4年で日本航空を不名誉退社(クビとも言う)していなければ…、と思ったりする。  
つくづくトバクチに立つまでは、運や巡り合わせでどうにかなるが、ちゃんと出口まで全うするのは難しい。人に出来ることが俺には出来ない。
だから年金とは縁がないし、浮いたり沈んだりを懲りずに何回も繰り返す人生になったのだろう。  


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