第244回 『続く不調、三重苦だ』


ああコンチクショー。シリアのイスラムゲリラにでも、日本の苦労知らずのアホンダラ総理にでもない。正月の6日に横浜で引いた風邪と、それに続くしつこくて陰険な便秘に言っているんだ。
俺はキリキリと刺すように痛む腹痛に耐え、仕事部屋のデスクに座り、パソコンでこの原稿を書き始めた。先月は体調不良で1回しかこの日記を更新出来なかったからだ。  
6日夜に気管支が異様に痛んだ時、俺は77年の人生で覚えのない激痛だったから、「あ、これはヤバイな」と暗澹とした。  
ここで読者にお断りを申し上げておくが、とにかくひと月以上も続いて、まだ継続中の風邪と便秘の話だから、いかに懲役で“ありえないほど品がいい”と謳われた俺でも、詳しく物語れば物語るほど尾篭な話になる。御飯を食べる前の方は、ここでパソコンを閉じて、召し上がったらまた続きを読んでくれ。  
風邪の熱は一番上がった時で38.3度だったのだから、インフルエンザやHIVやエボラ出血熱ではない。  
それでも37.3度とか36.8度という微熱が続き、洟と痰が2トンも出続けて止らない。それまで市販の風邪薬で充分だと思っていた俺も、29日になって主治医のところへ半ベソをかいてヨロヨロ出かけて行った。  
診察の後、先生は「これはただの風邪で、もう峠を越えてこれから良くなる所だ」と嬉しいことを言って下さる。そして咳を鎮めて痰を切る薬と抗生剤を処方して下さった。  

その日、熱は平熱に近く下がっていた。ホッとしてクリニックのロビーで支払いをしていたら、なんと慶応義塾体育会拳闘部の後輩にバッタリ会う。後輩と言っても頭の毛が半分に減った元バンタム級の男だ。  
スマホというのは便利なものだ。こんな物は絶対にイスラムゲリラに持たせてはいけない。後輩はすぐ仲間に連絡して、その日の5時から新宿で一杯飲もうという話になる。結局全部で7人集まった。
俺たちは綱町の道場でワイワイやっていた55年も昔に戻って、飲みに飲む。俺は最年長でしかも風邪が治りかけの微妙な体調だったから、セーブしながら飲んでいた。我ながら、わきまえたいい酒を飲む年寄りになったと思う。  

家に帰ったのは夜11時だった。そしてその日から俺は、悪夢のような便秘に取り憑かれる。いくら食べても、野菜を喰っても腹がグルグル鳴るだけで、下までは降りない。  
大金持ちのボンボンで成蹊大学を卒業した安倍晋三と、元ヤクザの前科モンで夜学の高校卒の俺では、ウンコの出方までまるで違う。
今の俺は、とにかく押しても引いても力んでも、大きなオナラしか出ない。  
食べた物はみんな小腸辺りで止って、どうしても大腸や直腸まで降りてくれない。そうしているうちに風邪はすっかり治ったが、悪夢の便秘はいつまでも続いた。  
俺のお腹は、ウニや女房殿にも聞こえるグルルル・ゴロゴロという異音を発して、そのたびに腹はキリキリ・ズキズキと痛む。不快さマックスだ。  
食欲もどんどん無くなる。フルーツポンチやプリン、おかゆやウドンなどでかろうじて体力を維持する。漢方の便秘薬は時々使うが 今回はまったく効かなかった。  
毎日立派なうんこをするウニを心底羨ましく思った。俺は、食べられず、出せず、お腹も痛いという三重苦になった。1月から2月にかけての予定は、ほとんどキャンセルしたほどだ。  
6日になって、温厚な俺も遂に腹を立てた。 こうなったら俺も男だ。いちじく浣腸の40ccという大型の奴を10個買って、徹底的に便秘をやっつけると心に決めた。  
家の階段を上り下りして、仕事部屋の丸い机の回りを腹を押さえながら何回も何回も回る。こうすればウンコのバカヤロも重力の法則で、嫌でも肛門の近くに集まるだろう。  
そこで俺は狙いを定めて40ccの対便秘砲を打ち込む。第二次大戦で一番威力があった大砲は、ナチスドイツの88ミリ対戦車砲だ。知っていることはドイツの大砲でもなんでも書いて、知識をひけらかしたいという浅ましい習性が俺には染み込んでいるのだ。  

つくづく人間は自分の口からちゃんと食べて、ちゃんと出して、ちゃんと寝ることが基本なんだと痛感した。みんなウニを見習え。
2回続きで、さえない話を書いたが、次回までには全快して、楽しい原稿を書くことをお約束する。そろそろ梅が咲いちまう。


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