第243回 『風邪ひいた!』


去年は元旦に“もうテレビに出ているタレントなんか好きにならない”と決めて、あろうことかまだ桜も咲かないうちに、剛力彩芽ちゃんという、世にも稀ないい女を見初めてしまった。
一昨年も “生きている限り、二度とアルソックのCMは見ない”と決めて、三が日はNHKしか見ずに過ごしたのだが、四日目にウニが「NHKの女子アナの髪型が田舎臭くてダサい」と文句を言ったので、俺は慌ててチャンネルを民放に替えて、アルソックのCMを見てしまった。
確かにNHKの女子アナは化粧が中学の体操教師みたいで、飯どきに映されると食欲がなくなる。  
二人と一匹の一家で、ウニは二番目に偉いのだから仕様がない。八年前の夏、まだ掌に乗るほど可愛くて小さかったウニが我が家にやって来た途端に、なぜか自分は女房殿の次に偉いと思い込んでしまったのだ。
安倍内閣の冴えないオッサンたちを見ていると、ウニの偉さが俺には分かる。  
うちの一家で言えばウニみたいに、ナンバー2が安倍内閣では確定していないようだ。 麻生太郎だけわざとらしい顰めっ面で、偉そうにしているが、周囲は誰も“次に偉いのは麻生だ”なんて思ってもいない。そんなこと訊かなくても谷垣や甘利、それに石破の顔を見ていれば分かる。
もう一人、親分の地位は決して狙わないが、菅という男も“二番目に偉いのは俺だ”と信じている。この男は抜け目のない目をしていて、人を操るタイプだ。  

日本の惨めな政治家の話はほんの余談で、毎年俺が元旦に何か一年の大計を決めるという話だ。  
剛力彩芽ちゃんは、熾烈で過酷な世界で俺の心を掴み続けている。しかし「剛力彩芽ちゃんは素敵だ」と周囲の人に言えば言うほど、なぜかみんなあいまいに笑って、俺のことを軽んじるようになる。これは一体どうゆうことだ。  
若い頃は、もっと威勢のいいことを元旦に決めた。
「今年は店をあと二軒出そう」とか、「モデルか女優かダンサーを愛人にしよう」とか、「ゴールドメタリックのメルセデスを手に入れる」とか、「桜田門に絶対に捕まらないで、あんなことやこんなことをしよう」とか、男らしく決めて実行した。  
でもさすがに77ともなるとそんなことは考えない。今年の元旦、俺は“家から外へ出て人に会ったら、手も握らずキスもせず、もちろん枕もかわさなくても、必ず両手にシャボンをつけて良く磨き、喉仏にたっぷり水を溜めて威勢良くうがいをすると決めた。
風邪やインフルエンザを移されると大変で、俺の歳だと肺炎になって命を失うことにもなりかねない。  
ただうがいをして手を洗うのではない。シャボンをつけてしつこく手を磨くのだ。面倒臭がらずに水を含んで、鼻を天井に向けてガラガラ骨惜しみせずうがいして、風邪の黴菌を水死せしめるのだ。  
アルカイダに対するフランス警察のように、容赦なく徹底的に風邪ウィルスに対抗すると、今年の元旦ウチの一家で三番目に偉い俺は凛々しく決めた。

三日の日に甥っ子家族がウチに遊びに来ただけで、初詣にも行かず俺はおせちを肴に昼酒を呑み、海外ドラマを延々と見て過ごした。
「ブレイキング・バッド」というタイトルで、高校の化学の初老の教師が肺癌にかかり、家族の為に金を残そうと、専門知識を活かして上質のシャブを作る。そして人生が思わぬ方向に変転して行くという話だ。62話もあるから大変だ。  
そして六日の朝、俺は海を見に三泊の予定で横浜のホテルに行く。女房殿と一緒に夕飯に広東料理をたらふく食べてビールを呑み、部屋に帰ってベッドに寝そべると、途端にくしゃみが、それこそアルカイダのAK47のように続けて出る。朝になっても具合は悪かったが熱は38度までしか上がらないから、ただの風邪だと俺には分かる。
しかしそのまま寝っぱなしで、一度も外に海を見に行くことは出来なかった。家に帰っても咳と微熱が一週間も続いたのだ。  
とにかく寝っぱなしなので、たくさん夢を見た。まったくツジツマの合わない奇天烈な夢だ。いろんな人たちが、あり得ない時と所にゴチャまぜに集まっていたり、なぜか俺がパーティの主役でスピーチしていたり、夢とはそういうものだがとにかく無茶苦茶なんだ。
女房殿にその都度話をするのだが、いい加減聞くのが煩わしくなったのか「もう荒唐無稽な夢の話はいいわ」と言われてしまった。あとはウニに喋るしかないから、ウニに話していたら、ウニも大あくびをして部屋から出て行く。俺は微熱を抱えながら、孤独だった。  
なぜこんなことになったのか? そうだ! 手を磨き、うがいをするのを忘れていた。  
普通の爺ぃはこんな時、自己嫌悪の結晶になるのだろうが、どっこい俺は違う。改めて、外に出て誰かに会う、いや、すれ違いでもしたら、両手にシャボンをつけて良く磨き、威勢良くうがいをすると、心に決めた。
“懲りないオイラ此処にありだ”


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