第242回 『小学校一年の初体験』


来年の5月で俺は78歳になる。よく生きたものだとつくづく思う。  
若い頃の俺に出会ったロクマ(占い師のこと)は、五人のうち四人は「寿命は38までだ」と気の毒そうに言ったものだ。これは四柱推命学のセオリーらしい。  
知り合いのロクマたちはみんな亡くなったけど、どっこい俺は言われた寿命の倍以上生きている。  
毎日ショートホープを10〜20本美味しく喫んで、176センチ83キロをキープしている。家の冷凍庫には牛肉と豚肉が呆れるほど詰まっていて、俺が食べるのを待っている。食べ盛りの頃とてもヒモジイ想いをした世代だから、冷蔵庫に食べ物がいっぱい入っているだけで幸せなのだ。  
安倍晋三は戦争も飢えも知らないから、威勢のいいことばかり喚く。身体に悪いからタバコを止めろと、みんな揃って大合唱する。  
一番身体に悪いのは戦争だろうよ。次に身体に悪いのは原発が垂れ流す放射能で、食品添加物やPM2.5もある。煙草なんか8番目か9番目がせいぜいだ。
何度でも九官鳥みたいに俺は「戦争と喧嘩は、道具と規模が違うだけで一緒だ」と言う。これは誰も賛同してくれないが俺の持論なのだ。  
俺はもう60年以上、タバコを喫み続けている。大きな声では言えないが鑑別所でもやったし、拘置所や刑務所でもやった。  
身体に悪いからと言って、剛力彩芽チャンみたいないい女がいても、恋に落ちないって言うのか?  

俺は小学校一年の夏、そうだ戦争の終わる前の年で、その頃は小学校じゃなくて国民学校と言っていた。ボーイングB-29の爆撃に追われて熱海の祖母の別荘に疎開していた。安倍晋三は“疎開”なんて言葉は知らないだろう。  
俺は配給されたタバコを一本盗んで、風呂の中で火を点けた。風呂場なら湯気で煙を誤摩化せると思ったのだ。  
ところが一息吸い込んだら、その後の記憶がない。姉が風呂の底に沈んでいた俺を引き上げてくれたから、今こうして書いていられる。  
今のペースで喫み出したのは15歳、中学三年の頃だ。  
10本入りの“ピース”は40円で“光”が30円、吸い口付きの“朝日”それに“ゴールデンバット”が20本入りで30円だったのを覚えている。
1956年、小田原の少年院をウサギ(脱走とか脱獄のこと)して東海道線で名古屋駅に着いた朝、駅のタバコ屋で買ったのが、その日に発売された“いこい”だった。これは両切りの20本入りで40円だった。  
日本専売公社(今の日本たばこ産業)が作った“いこい”のポスターに『今日も元気だ、たばこがうまい』という名キャッチフレーズがある。昔は自分の健康度合いを計る物差しだったなんて、どうだ隔世の感があるだろ。  
チンピラ時代に喫んだのは、まだフィルターが付いてない“キャメル”や“フィリップモリス”で、金がない時は仕方がないから何でも恐喝して喫んだ。あの頃、そんなことして前科モンになっていなければ、人生は別な展開になっていただろう。  
日本を喰い詰めた俺は、外国を彷徨う。  
ドイツでは両切りで楕円形に潰れた“ゲルベゾルテ”が気に入り、フランスでは“ジタン”が美味しかった。イギリスだと誰が何と言おうが、“キャプスタン”が一番だった。  
パイプタバコや嗅ぎタバコ、それに葉巻も噛みタバコも試してみたが、俺には両切りの紙巻きタバコが一番美味しかった。  
日本に舞い戻ってからは、“ピース”の缶入り50本詰めが気に入ったのだが、30歳を過ぎる頃になると俺も人並みに体力が落ちて、徹夜の博奕では両切りの“ピース”が強過ぎて喫めなくなった。  
その時勧められてやってみたのが“ハイライト”で、これは旨くはないけど我慢は出来た。ところが子分たちから、「すみませんが、兄貴に“ハイライト”を吸われると俺たちが困るんです」と言われてしまった。  
約半世紀前のヤクザは、兄貴がビュイックなら自分はフォード、兄貴が“菊正の一級”だったら自分は“二級”というシキタリがあったのだ。俺が“ハイライト”を喫んでいる限り、舎弟や若い衆は“ひびき”しか喫むタバコがない。  
「せめて、これにして下さい」と言われて、それ以来ずっと“ショートホープ”を喫み続けている。足を洗ってカタギになってもだ。  
8年前にウニが松山から来た時、俺はコペルニクス的な発見をしようと思い立った。酒を呑みタバコを喫むネコを育てるのだ。  
ミルクにビールを滴して訓練を始めたのだが、ウニはどうしても俺の思った通りにならない。  
「コラッ、酒を呑んで葉巻を咥えてみろ。お前はその途端に有名ネコになりテレビに引っぱりだこになって、飼い主の俺は参議院議員に当選する」と、いくら言い聞かせてもウニは煙に顔を顰めウィスキーに横を向く。
ヤワラや猪木になれなかった俺は、仕方なくパソコンで字を綴り続ける。

皆様どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。


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