第240回 『俺が愛したバー』


リチャード・アードーズが書いた『大いなる酒場―ウエスタンの文化史』(晶文社)という本を、荻窪の古本屋で買って来た。1984年に出版された翻訳本で、1650円だった。  
リチャード・アードーズは1941年にウィーンで生まれ、少年期の終わりにアメリカに移住した。人類学、博物学、芸術を学んだのち、フリーのライターになる。1960年前後からニューヨークの住居を留守にしながら西部に没頭する。…初めて目にする著者なので巻末にあった“著者略歴”をそのまま書いている。  
しかし面白い。380頁の本で、122頁まで一気に読んだ。2段組みで字も小さくて、とても寝っころがっては読めない。仕事机の前の椅子に、お行儀よくちゃんと坐って読んでいる。たくさん挿入されているイラストや写真も興味深くて、この原稿を書き了えたら俺はまたすぐこの本に戻る。
コーヒーも煙草も灰皿もあるし、ウニは昼寝をしているし、女房殿は二階で新聞を読んでいるから煩わされるものは何もない。  
この俺より4歳若い作家は、西部の酒場に魅せられた男なのだ。122頁読んだ俺は、今回の“あんぽんたんな日々”は、バーについて書こうと思った。  
バーで出会って酒を呑み、枕を交した女の想い出ではない。バーそのものの話だ。  
今77歳の俺は、不本意な中断を除いてこれまで60年近くバーで呑んだくれて来た。まだ紅顔の美少年だった昔、銀座の“アカンサス”がとても居心地が良くて、よく通っていた。灰田勝彦やヨリ寺部が機嫌良く呑んでいたし、俺の身体が忙しくなる(喧嘩やトラブルの渦中にいたり、桜田門一家から指名手配されるといったことだ)と、女主人は「ほとぼりが冷めるまで隠れておいで」と、菅平にあった山小屋の鍵を渡してくれた。  
その頃の俺は今の小栗旬と瓜二つで、若いお嬢さんが昔のアルバムを見ると必ず、「キャッ。オグリシュンッ」なんて叫ぶ。  

少年課じゃなく捜査課のデコスケに追われるような年になると、俺は断然ホテルのメインバーが気に入った。
帝国ホテルの“オールド・インペリアル・バー”は大好きだった。横浜のホテルニューグランド一階にあったメインバーにもよく通った。ここのヌシみたいだったのが友人の作家・矢作俊彦だ。箱根の富士屋ホテルも素敵で、若い俺もここでは行儀よく呑んでいた。
オープンしたばかりのホテル・オークラには、男しか入れない“オークルーム”というユニークなバーがあったのだが、覚えている人はもう少ないだろう。1983年にクローズしたと聞いたが、おそらく青江のママやゲイボーイたちが「なんであたしたちは入れないのよ」とキャンキャン怒ったからに違いない。

リオデジャネイロのバーで、“ワニが背泳ぎで泳ぐ川”という噺をしてくれた奴がいた。それまで普通に鼻の先と両目を出して、スーッと泳いでいたワニが、川の両岸を睨むとクルリとひっくり返って白い腹を見せ、短い手足をバタバタさせてバックストロークでしばらく泳ぐのだと、酔っぱらったオッサンは言う。
ワニは凶暴なピラニアが群れているエリアを知っていて、そこを通る時は噛み付かれても大丈夫なように硬い甲羅を下にして、柔らかい腹を水の上に出して泳ぐのだそうだ。
そのエリアを通り過ぎると、またひっくり返って普段通りに泳ぎ出す。
バーの噺は、こうでなければいけない。政治や宗教の話題を持ち出す奴はイモだ。自分の女か子分にしか我慢して貰えない。
サンフランシスコの“ヤンキードゥドゥル・バー”は、エアラインの人間が集まるバーだった。しょっちゅう来る奴もいれば、2年に1回くらいしか来ない奴もいた。ほとんどがここでしか顔を合わせない。
このバーでは、年末に「今年のベストジョーク」を決める。世界中に散らばったエアライン・クルーは、面白いジョークを思いつくとハガキに書いて、世界のアチコチから“ヤンキードゥドゥル・バー”に送って、それが店の壁に貼り出される。
「今年のベストジョーク」に選ばれた者は、翌年1年間、呑み代がタダになった。
50年くらい前の話だ。今でもこのバーはあるのだろうか?

俺はどこでもいつでも、好きな酒を呑む。 ひとりぼっちでも大勢でも、女が一人もいなくても呑む。
ウィスキーの水割りには、自分の好みの濃さがある。俺は甘く感じる薄目の水割りを、若い頃はシロナガスクジラみたいに呑んだ。
ドライマテニは、うんとドライなのが俺の好みで、一緒に呑む男も同じ好みでないと困る。30分や1時間なら我慢できるが、それ以上は男だとたいてい喧嘩になる。女だと喧嘩じゃなくて、別なことをしにバーから表に出る。
とここまで書いた時、いつのまにか後ろからパソコンを覗きこんでいたウニが、「その先はまた大ボラを書くんだよね」とネコ語で言ったから、俺はムッとした。誰だ、このうるさいネコを拾って来た奴は?
もう書くのは止めて『大いなる酒場』に戻る。後半は、“ウィミン―西部の女たち”、“酒場と銃弾―酒場の中の死”なんて章が並ぶ。
な、面白そうだろ。   


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