第235回 『ジェニファー・ジョーンズ』


ハンフリー・ボガードの連れ合いだったローレン・バコールが亡くなって、テレビにひとしきり在りし日の写真が映る。綺麗な女優というより、個性的でカタギではない女の匂いを売りにしていた女優だった。
その中に集合写真で、まだ若かったローレン・バコールが、もっと綺麗で知的な女優と一緒に映っている1枚があった。  
「あ、ジェニファー・ジョーンズだ」と俺は松山訛りのネコ語で呟いた。ネコ語で喋っていれば、分かるのは兄弟分のウニだけだ。 盗聴されて、映画みたいに兄弟分が裏切る展開になり、ウニが杉並署のマル暴にチクっても、俺は絶対にパクられることはない。  
イスラム国軍も親ロシア勢力も、秘密連絡にはネコ語を使っているんじゃないか? CIAもモサドもネコ語はチンプンカンプンで、 何を聞いても分からない。イヌ語の得意なプーチンだけは、俺がバーで教えてやったからネコ語が少し分かる。  
そうだ、ジェニファー・ジョーンズの話だ。ジェニファー・ジョーンズが香港にある“クイーンメリー・ホスピタル”の医者を演じ、その医者と恋に落ちて最後は死んでしまう新聞記者の役をウィリアム・ホールデンがやったのが、映画「慕情」だ。主題歌は大ヒットしたし、美しくて哀しい映画ではあったが、俺にはそれほど面白くはなかった。若い人に、「機会があったら是非見てごらん」と言うほどの映画じゃない。  

その白亜のクイーンメリー・ホスピタルを指差しながら、「あの病院の半地下の倉庫に、港や空港で税関が押収したコケインやヘロイン、それに日本人が大好きな覚醒剤が全部保管されている」と言ったのは、その頃俺の子分をしていたバウで、まだべトナム戦争がたけなわだった1970年代のことだ。
空港は今の香港国際空港ではなく、“世界で最も危険な空港”第6位に選ばれた、昔の啓徳(カイタク)空港だ。  
バウは30歳ほどの中国人で、喧嘩は青龍刀でやる。いくら勧めても「刀は音が出ないからいい」と言って、拳銃も銃身を短く切った散弾銃も使わない男だった。  
病院の半地下には警備として、白いターバンを頭に巻いたインド人が軍用のライフルを抱えて、赤く塗ったドアの前に立っている。  
「あのインド人たちは、正月休みを一週間取る。その間は民間の警備員が臨時雇いされるんだ。本雇いは本職だし、弾丸は自前じゃなくて病院か税関持ちだから、コトが起こればバンバン撃つてくるが、臨時雇いは日当稼ぎの素人だからいくらでも買収できる」とバウは言った。  
奪ったブツは俺と親しいエア○○の空港支配人チャンが、相場の30%で現金で引き取ると、話はそこまで進んでいた。  
チャンは俺より年長だったから、もう亡くなっているだろう。だから多分迷惑は掛からない。航空会社も今はもうないが、念のため○○にした。

その頃の俺はカタギじゃない。儲かることは命と天秤に掛けて、割に合えば何でもやった。少々割に合わなくても、時間は嫌になるほどあったから、旨い話にはほとんど乗って、断ったことは数回だ。
俺は足を洗って作家になったばかりの頃、サインを頼まれると『全部バレれば、二度死刑』と書いていた。  
この香港の病院のシゴトが終わったら、俺は、戦争の真っ最中だったサイゴンに飛ぼうと思っていた。それでビザを取りにべトナム大使館に行ったのだが、そこで騒ぎを起こしてしまう。  
「何の目的でこんな時期にべトナムに入国するのか、正直に言いなさい」と小僧が横柄な口調で言うから、俺は腹を立てて、手を伸ばして小僧の縁なし眼鏡を取ってやった。そうしたらほんの15秒くらいで赤い縁取りの肩章を付けた巡査が二人飛んで来て、俺を逮捕したんだ。二人のうち一人はジャッキー・チェンだったのではないか?いくらなんでも早過ぎる。  
「殴ろうとして眼鏡を取ったんじゃない。レンズが汚れていたから拭いてあげようとしたんだ。俺はべトナムの味方だとみんな知っている」。  
二日間同じことを繰り返し主張したら、やっと釈放されて、ビザもおりた。  
留置場の外で待っていたバウに「留置場で日に二回喰わされたお粥が、とても旨かった」と言ったら、そんなことよりまず放免祝いだということで、スターフェリーに乗って九龍のレストランに行った。  
留置場で出たお粥には、素揚げした海老の頭と尻尾がほどよく入っていて、海老のダシがよく効いている。もう三日でも入っていたかったとバウに言ったら、「バカなことを」と笑われた。  
老酒で乾杯をしたレストランは、海老が売りのいわゆる海鮮料理屋で、昼間なのに広い店一杯に客が入っていた。  
皿と言うより大きなザルに山盛りの海老は、この店の名物で、薄く塩がしてある。どのテーブルにも海老が載っていて、みんなペチャクチャ喋りながら盛大に食べている。  
左手で海老の頭を取って、チュッと味噌を吸い海老の身を食べると、右手に持っていた尻尾をポイと床に捨てる。同時に左手に持っていた海老の頭も手から離して足元に落とす。そして左手はまたすぐザルに伸びて、また次の海老を摘み上げている。気が付いたら、店の床は海老の頭と尻尾で、厚い所は15センチも覆われていた。  
俺は低い声でバウに、「留置場のお粥に入っていた海老の頭と尻尾は、この店の床に落ちている奴に違いない。今日は俺の放免祝いだから、少しは身も落としておいてやろう」と言ったら、バウはニヤッと笑って、ザルから取った海老をそのまま何本か床に落とした。
 
なんでもやった時代だった。恥ずかしいことやイヤなことは器用に忘れて、良かったことや懐かしいことだけ記憶に残す。だから何を思い出しても光輝いている。  
忘れずにみんな覚えていたら、とても七十七までは生きられない。恥ずかしくて狂い死にしているだろう。  
ベトナムに行って、エラい目に遭ったイキサツはどこかの本に書いた。
どの本だったか自分でも覚えていないのだから、困ったもんだ。  


目次へ戻る