第233回 『花火を見て』


ほぼ60年振りで、壮大な花火を見た。俺は横浜みなとみらい臨港パーク前の海上花火大会に行ったのだ。  
ミナトヨコハマを出入港停止にして、約90分間、パンパン、シュルシュルドカン、パァーッ、ピュルピュルルー、ドドドドドーンと盛大に打ち上がる1万5千発の花火だ。  
ああ、表現するのが大変だ。壮大では足りない。絢爛華麗でもまだ足りない。その迫力と美しさを形容するのには言葉が足りない。黒木メイサと剛力彩芽と滝川クリスタルが束になってかかって来たと言えば、読者に伝わるか?この情景を巧く書けないから、俺にはもう10年も小説の原稿依頼がない。  

花火はタダだ。その場にいれば誰でも見られる。ドケチな俺もタダだから見る。  
花火が始まる前にまず腹ごしらえだ。お肉1.5倍の牛タン定食にサイドオーダーのとろろを頼み、中ジョッキのビールも呑んだ。こちらはもちろん代金を払わなければ喰い逃げで、俺は神奈川県警に何十年か振りで捕まって新聞ダネになってしまう。  
先に席を立った俺がレジでモタモタしていると、後から来た女房殿がサッサと払ってくれる。俺はわざとモタモタしていたのではない。人で溢れ返っていた会場周辺で、俺とはぐれると女房殿が迷子になると思ったから待っていたのだ。  
ぴったりしたジーンズのズボンを穿いていて、尻のポケットから財布がなかなか取り出せなかったのであって、払いたくないからグズグズしていたなんて誤解しないで欲しい。  
しかし主催の神奈川新聞は素晴らしい。3年前の宮浮おいチャンより美しく、50年前の岬マコさんよりゴージャスな花火を、県民でもなく、新聞も取っていない俺にタダで見せてくれた。もしかすると女房殿がいろいろ手配してくれていたのかも知れないが、とにかく俺の腹は一文も痛んではいない。タダのものは串カツ屋のキャベツでも、カレー屋の福神漬けでもみんな素晴らしい。  
花火の間に、俺は横浜のいろいろな方のことを思い出していた。藤木海運の伊藤清蔵さんと伊藤清太さん。海洋社の須賀社長。山手のチャールス・M・デッカーさん。そして日本航空の越田キャプテン。  
皆さん俺の大恩人だ。この方たちがおいでにならなかったら、俺は77まで生きていなかった。花火が終わって横浜港に星がまたたく。  

もうひとつ花火で思い出した。俺は6歳のころ、熱海の祖母の別荘に疎開していた。  
昭和20年3月10日の夜、東京が大空襲で燃えた。俺は熱海の山の上から、東京が燃えるのを呆然と見ていた。他に大人も子供も何人もいた。暗い海の上の雲が赤く染まっていた。  
東京を焼き尽くす炎を見て、地元の子が「ワァー、花火みたいだ」と叫んだ。その子は俺と同じように東京から疎開していた少し年長の子に「フザケルナ、俺の家が燃えているんだ」とボコボコに殴られた。五反田の俺の家もこの時焼けた。   
アメリカとの戦争がもうちょっと続いていたら、おそらく俺は今のガザの子供たちのように瓦礫の中でむごたらしく死んでいただろう。  
俺みたいに偉くない人はともかく、政治家や財界人それに官僚は責任を持たなければ、シモジモは絶対に幸せになれない。  
勇ましいことばかり気負い立って喋る安倍晋三は、責任を取る覚悟があるのか。苦労知らずのボンボンに、そんな覚悟があるわけないと俺は知っている。  
もうすぐ8月15日だ。



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