第227回 『70年間、野球漬け (その2)』


今から50年前の野球は、原っぱでやる俺たちの草野球は勿論、後楽園球場のプロ野球でも、審判は滅多にプレー中のボールを替えてはくれなかった。
今は投手がワンバウンドの球を投げると、自動的に審判は捕手に新しいボールを渡す。捕手に渡さずに、投手に直接投げ返す審判もいるが、俺はその度に“あれがインプレーで、暴投して走者が進塁したらどうするんだ?”なんて余計な心配をするのだ。  
まだそんな場面は、一度も見たことはない。でも新しいボールを、直接審判が投手に投げ返すのは良くないと俺は思っている。  
ボールをちゃんと投手の胸もとに投げ返すのも、プロ野球選手の芸のうちだ。捕手が毎度きちんとボールを返球することで、バッテリーの呼吸が合うんだ。投手というのはデリケートだから、ほんのちょっとしたことでもとても大事で、プレーに影響を与える。  
審判が投手にボールを投げるとこなんか、誰も見ているわけないと思う人もいるだろうが、数は僅かでもそんな地味なプレーをじっと見詰めているファンもいるのだ。       

50年前と比べて日本はとても豊かになったと、野球を見ていて俺はつくづく思う。昔はファウルボールをスタンドの客が捕っても、返さなくてはいけなかった。  
今はチェンジになったボールを、捕った野手がホームチーム側の観客席に気前よく投げ込んでくれる。  
俺は後楽園と神宮球場でひとつずつファウルボールを捕ったが、両の掌に押さえ持って、知らん顔して家に持ち帰った。  
その頃はまだバットも貴重品で、打者はバッターボックスに入る前に必ずバットの木目を合わせて、折れないように気を遣ったのだ。  
それにしても、試合の前にやっていたトスバッティングとシートノックをいつ止めたのだろう?  
プロのOBに訊いても、「昭和40年頃じゃないか?」とか「スタンドにファウルボールが飛び込んで、子供が鼻血を出したかなんかでコミッショナー通達が出て、トスバッティングはヤメになったんじゃなかったか。はて、いつ頃だっけ?」なんて答えしか戻って来ない。  
野手3人が前に立ってやるトスバッティングは、野球少年をワクワクさせたし、見ていてとても面白いものだった。バッターに向かって投げる振りをして、隣にいた野手にトスしたり、打球を捕ってグラブを振ってバックトスしたりと、プロの技を楽しく見せてくれた。  
金星スターズのスタルヒンは、利き腕の右手に持ったボールをちょっと腕を挙げて、首の裏を伝って左手に移して投げ、打者を面食らわせたりした。  
ペッパーゲームとも言ったトスバッティングで、俺が覚えている名人はタイガースからロビンスそしてオリオンズと移った本堂保次だ。  
シートノックでは“シャドープレー”と言っていた、ボール無しでやるノックがスタンドを沸かせた。  
上手く書けるか分からないが、昭和30年頃見たシャドープレーの様子を一所懸命思い出して再現してみよう。  
ノッカーのフライヤーズ・井野川利春監督は、ボールを握っていない左手を顔の前にかざして、すぐその手をノックバットに添えて、ショート目掛けて振る。ボールが無いのだから、カツンという音はしない。ファーストの飯島が「ゲッツー」と叫んだので、観客はランナー一塁でショートゴロという想定なんだな…と分かる。  
ショートの確か内藤が、掬い捕ってセカンドベースに走り込んで来た苅田久徳にトスする。  
そのトスを受けた苅田は、ランナーのスライディングを飛び上がって除けながら、顔はショートに向けたままスナップスローでファーストに送る。ファーストの方に顔を向けず、スナップスローでゲッツーを完成するのが、名手・苅田のお家芸だった。  
飯島がファーストミットをパチンと鳴らすと、喜んだ観客は立ち上がってヤンヤヤンヤの大喝采だ。  
毎日同じことをやるのではない。たまにはファーストが受け損ねたボールを、慌てて自分で蹴飛ばしてしまい、それが相手チームのダグアウトに入ってしまう。飯島はキャップを脱いで謝り、苅田はセカンドベース上で頭を抱えるなんて寸劇に観客は笑い転げたものだ。  
その当時のプロ野球選手は、球場に来たお客を楽しませようと、いろいろ趣向を凝らしてくれた。  
イチローが得意の背面キャッチを試合前の練習で披露すると、お客は喜ぶだろう。プロの技術に裏打ちされているから、お客は「ああ、楽しい。いいものを見た」と満足するのだ。そんなファンサービスがどんどん減ってしまったのが、俺は淋しい。  
昭和38年頃までは、俺も熱烈な巨人ファンだった。今は違う。
巨人が負けると嬉しくて急性アルコール中毒になっちまうほどビールが旨い。
                 


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