第224回 『トホホの日本海特別(その2) 』


焼売弁当を食べ終わってひと休みしていたら、鼻にツンと来る妙な匂いの水が、荷台から道にしたたり落ちている。少々の量ではない。アスファルトの剥げた所が、いっぱいになって溢れ出してもまだ止まらない。  
荷台にドラム缶でも積んであって、それが倒れて何かがこぼれ落ちているのかと思った。幌を捲って荷台を覗き込んだら、なんとしたことか目の前に立派なダイナンプウの尻が見えて、前から小便がほとばしり出ていた。  
「まだ神奈川県ですけんど、馬のションベンは長野県なんです」  
呆然としながら馬の小便を見詰めていた俺に、馬丁はニヤニヤしながらそんなことを言う。三度同じことを言わせて、やっとこのオッサンは冗談を言っているんだと分かった。  
巧いジョークでも3回繰り返せば、間が抜けてちっとも面白くない。それはともかく、俺はやっと荷台から流れ出ていた異臭を放つ水が、馬の小便だということを理解した。  
馬丁もテキ(調教師)もヤネ(騎手)も、競馬関係者は人に聞かせたくない話をする時、それまでの標準語が一転して訛りの強いお国言葉になる。  
テキが馬主に「このレースはヤリだ」(このレースは勝てるぞ…というような意味)と言ったので、楽しみに馬券を買い込んでレースを見ていると、とうてい届きそうもない位置から追い出して、結局4着だったりする。こういうのを“馬主ツンボ”のキエ(消え)という。  
大損した馬主がテキを詰問すると、その途端に津軽弁になったりして、馬主には何を言っているのか全然分からない。  
関東の馬主は2〜3回聞き返して諦めてしまうが、関西の春木や園田の馬主はそんな時でも簡単に起訴猶予にはしないのだ。  
「キャバレーで女を口説く時は巻き舌の関東弁だろ。言い訳の時だけズーズー弁になるな。コノヤロ。分かる言葉で、なぜヤネが届かない所から追い出して、足を余して(まだ余力があるのに…ということ)負けたのか、馬主の俺に言ってみろ」と、それはネチっこい関西弁でテキが涙声を出すまで半日でも追及する。  
金に対する執念が、関東の馬主と関西の馬主では、まるで違う。  
だから公営でも中央競馬でも、テキが馬主を“馬券の肥やし”にする、馬主ツンボ(馬主に知らせない。或いは逆にヤリだと嘘を吐く)レースは関西ではとても少ない。  
しかし競馬が始まった時から、テキも馬丁とヤネもみんなこの流儀で、馬主とファンを餌にして喰って来たんだ。それにこれは昭和39年か40年の昔話で、この頃はまだみんなヒロポン(1CCのアンプル)をやっていたから、話が尚更ややこしくなる。  

『ダイナンプウ』の話に戻ろう。  
馬丁は桶に水を汲んで馬の鼻先に吊し、飼い葉の用意をする。水の入った桶は重いので、荷台に上げるのに俺も手を貸した。  
街灯もない箱根の旧道を、俺は2速のギアでソロソロ登る。荷は430キロの馬1頭だから、俺のトラックは平気だったが、オーバーヒートして開けたボンネットのラジエーターから湯気を噴き出しているトラックが路肩に何台も止まっていた。  
夏だけではなく、冬の箱根はいつもそうだった。50年も前のこのころは、トラックも乗用車も今の車とはまるで違う。夏はベンツだってオーバーヒートして、ボンネットのラッチを外して走っていたんだ。  
ガルウイングのベンツを買った歌手の三橋美智也は、道路に出るとすぐオーバーヒートするので、家の駐車場に置いた車を女中と二人で磨き上げるだけだったと俺は聞いたことがある。  
芦ノ湖を過ぎて下りになっても、夜道は気が抜けない。荷台にこれから益田のグランプリレースに出る『ダイナンプウ』を積んでいるのだ。  
ギアは2速のまま、エンジンブレーキを効かして俺は三島を目指す。舗装してあっても細かい砂利を不用意に踏むと、ベアリングみたいに車が滑る。ブレーキを踏んで、荷台の馬がつんのめって、運転席の背に鼻をぶつけたりしたら大ごとだ。  
馬は用心深くて臆病な動物だから、ショックは 出来るだけ与えたくない。ちゃんと麻酔を掛けて獣医に抜かせればいいものを、バカな馬丁が虫歯を勝手に抜いてしまったから、怖がった馬が馬房から出なくなってしまったことがある。忘れもしない、その俺の馬は多少難はあったがウメノチカラの全弟で、その当時で450万円もしたサラブレッドだった。  
時速30キロで俺のオンボロトラックは、ソロソロと島根県の西の端、益田を目指す。  
タイヤは4本、いやスペアも入れて5本全部、ほとんどの人が今では見たことも聞いたこともない“山掛けタイヤ”だ。  
10万キロも走ってツルツルになったタイヤに、直径1センチほどのゴム紐をグルグル巻いてゴム糊でくっつけた再生タイヤで、1本700円ぐらいだったと思う。玉丼が60円、カツ丼と天丼が70円だったころだ。  
水溜まりは面倒でもいちいち避けなければいけない。もし深かったらトラックはどうでもいいが、“日本海特別”を勝つと馬主の俺が勝手に決めている『ダイナンプウ』が、鼻をぶつけるか前歯を折る。  

道中、何回飯を喰ったか覚えていない。ドライバーは俺ひとり。とにかく一般道をソローリソローリ、延々と走るのだ。ドライブインもファミレスもコンビニも何にもない時代だ。蕎麦屋か定食屋がせいぜいだ。道も分からない。夜ともなれば真っ暗だ。  
艱難辛苦を乗り越えて、俺と馬丁と『ダイナンプウ』は、ダートコースに一般道の踏切がある益田競馬場に辿り着いた。何十時間掛かったのか分からないし、思い出したくもない。  
益田のテキに手綱を渡してヤレヤレと思っていたら、「日本海特別の一着賞金は40万円です。他のレースも使うんでしょ」なんて、テキが何度も言う。  
ビックリして口をあんぐり開けたままの俺が、返事をし忘れていたからだ。高崎はグランプリレースが年末の農林大臣賞で、一着賞金は200万円だった。益田の“日本海特別”だって少なくても100万円はある筈だと、俺はすっかり思い込んでいた。  
事前に確認しなかったのは俺の落ち度かも知れないが、40万円はいくらなんでも非常識だろう。それ以来、俺は常識も良識も無視する男になったんだ。(ウソ。もっと前から無視してた)  
結局『ダイナンプウ』は6着だった。俺の苦労は全く報われなかった。  
ヨソから来た知らない馬に、そう簡単にグランプリレースを勝たせるワケがないと、今なら分かる。どこの地方でも、競馬サークルはみんな身内なんだ。その年一番晴れがましいレースをヨソ者に獲らせたんじゃメンツが立たないし、なんと言っても40万円の一着賞金はここでは最高額なんだ。  
バーのお内儀が大事にすると言ったので俺はタダで『ダイナンプウ』差し上げて、汽車に乗って東京へ帰った。
トラックと馬丁のことは記憶にない。
                 


目次へ戻る